本当に自分自身で思索されたものでなければ真に自分自身のものにはならないであろう。

 

 真に自分自身のものになっていないものは、他人に対して与えることも出来ないし、また、決して感化してゆくこともないであろう。

 

 自分自身の理性によって思索されたものこそが、真なる成果となるのである。このような思索するという努力は、智慧を獲得してゆく上で極めて肝要なものである。

 

 人生においては、真理を獲得する契機は様々にあるのであり、人々は、それぞれに悟ってゆき、それぞれに法楽を結んでゆくものなのである。


 思索を通じて獲得された真理は、一人一人の心の翼となり、精神の高貴さとなってゆくことであろう。


 また、芸術表現一つであっても、創造活動そのものが生命の本源的営みとつながっているものなのである。

 

 故に、一瞬一瞬に転生があり、永遠があるのである。この永遠というものをつかむと、それが芸術として表現されて、人々に伝達されてゆくのである。


 本来、美というものは、様々な人の心に住んでいるものであり、表現されたもの一つ一つの内に込められているものである。

 

 我々人間は、精神活動を通じて、様々な境地を表現し、創造してゆくものなのである。


 この創造力というものは、生命の本源の力であるのであり、それは生命の実相が様々な表現形態をとって現われたものなのである。

 

(つづく)

 

 

 

 

 

 

 

    天川貴之

(JDR総合研究所・代表)