ゴミと回収

 La basura y la recogida

  Charles Bellini

はじめにゴミについて言えば、それには様々なタイプがあり、それは莫大な量だ。だからこそ大問題なのだ。しかし、何の問題も与えないゴミもある。それどころか全く逆だ。オーガニックゴミは、例えば、いろいろな目的に使用できる。肥料、エネルギー…、しかし、気をつけよ! 私はいろいろな人に尋ねてみたが、オーガニックゴミについては納得していないように見える。この運動(流行?)の全般にわたって何を言っているかわからないのだ。すべて“エコ、オーガニック、バイオ、ナチュラル…”だからだ。 コマーシャルまでがそれについて情報を送り、人々を惹きつける。或いは未来の顧客を騙すためにそれを言う。

多くの人々が役所からゴミ分別と回収日のパンフレットを受け取っている。しかし、ちゃんと理解してはいない。ゴミには多くの種類があり、分別が難しいからだ。その上誰も彼も分かっていない。(市役所の人と一般の人)無知ゆえに分別が分からないのだ。

オーガニックゴミと一緒にティッシュを棄てる人がいる。情報の時代に、未だに真の情報は不足している。

さて、このティッシュのことを続けよう。

先日、駅の近くで数人の老人たちがーおそらくボランティアだろうー スローガンの書いた紙が入ったポケットティッシュを配っていた。そして、大きな声で“ゴミを減らしましょう”と訴えていた。私は、思った。ゴミを減らすためにゴミを配るのか? 

 

ゴミの種類についての話を続けよう。

オーガニックゴミと非オーガニックゴミ(非オーガニックゴミの中に様々なタイプがある)、ビン、缶、紙、服…。つまり、各人は6~7個か8個の分別ゴミ袋を持たねばならないということだ。私は改めて自問する。皆がゴミのための場所をたくさん持っているというのか? 考えてみよう。4畳半か6畳のアパートに住んでいる人がゴミをためておくためには、広さの半分のスペースが必要だ。皆がすべての種類のゴミをためておく家やスペースを持っている訳ではない。見よ! 大きな“マンション”或いは新しいアパートには、住居とは別に毎日ゴミが棄てられ溜めておける場所がある。ここに差別がある。事前に熟考していなかったにせよ差別する結果となったのだ。しかし配慮せよ!

 私は個人的には、ゴミのためのスペースを減らすためスーパーマーケットが提供しているコンテナを利用している。(プラスチックボトル、発泡スチロールのトレイ)製品を良く見せるために使用するもの、しかし不燃ゴミであるものが付いてくるからだ。いつ可燃性でオーガニックな物質で作られたプラスチックが使われるようになるのか? レストランに、スーパーマーケットに、24時間営業のコンビニなどに、はっきり言わなければならない。あらゆる種類のゴミを多量に生産しているが、それにお金をはらっている、即座に毎日、ゴミを回収すべきではないか、と。そうすれば誰も何も言わない。商人と製造業者のための“自由主義”を国民に個々人に押し付ける考え方には同意できない。

 さて、回収の問題に入ろう。

それは、周到に計画されていない。府中ではコンテナを2010年に向けて撤去するそうだ。日野では10年前に既に撤去された。他の地域では見たことがない。しかし、ヨーロッパでは増加している。ドイツが“緑の党”とエコロジーのパイオニアだということを考えてみよう。けれど、今人々はコンテナ使用と協力が習慣化していっている。が、それは長年ひとつの夢に過ぎなかった。ゴミの回収は世界的問題だ。ただ単にある街の問題ではなく、行政の問題なのだ。

 他の例を見てみよう。多くの場合、例がなくては理解し難いし、近視の人が増えるように見える。ヨーロッパはゴミと不衛生により、いろいろな疫病を経験した。日本では、ゴキブリとネズミの数が増え続けている。(カラスも含めて)が、これらは他の国々では減少した。ここに、問題がある。ゴミの減少、税金、回収日の不足による衛生状態の悪化。問題は長期的視点で見なければならない。

 消費社会の中で、ゴミを減らしたいと望んでいるのに、政府は「買え、買え、買え」と購買を促進するのか?

 快適な暮らしをしている人は言う「ああ、これは私には関係ない」と。が、間違っている。直接間接にすべての人に影響のある問題なのだ。想像してみよう。ある人たちが賃貸しのアパートをいくつか持っていて家賃を受け取っている。しかし、新しい借り手が引越しの際ネズミを連れて来ることや、ただ単にゴミの中の美味しい餌につられてネズミがくる可能性について何も考えないでいる、という状況を。小さいネズミは大きくなり、子ネズミを生む。借家人は夜のあまりの騒々しさにうんざりし、アパートを変ろう、これには我慢できないと考える。家主がアパートをもう一度貸そうと思うなら、徹底的に掃除をするため散財せねばならないだろう。しないなら事態はもっと複雑になる。フィクションのような話かもしれない。しかし私はこういうケースをいくつも聞いた。

 このゴミ問題は公的なことなのか? それとも個人的なことなのか? 両方だ。前者は組織の、後者は協力の問題だ。顧問と市議会議員たちは共同体の問題を解決するために存在するのであって、締め付けるためにではない。

 カラスについてはたくさん情宣があった。新しいビニール袋はこの色だとかあの色だとか…。しまいにはゴミに網をかけることで問題は少し解決した。しかし、オーガニックゴミ回収車が昼の12時か1時に来るなら、カラスは同じく来てしまう。つまり、回収日回数と時間帯計画が悪いのだ。ゴミ回収に従事する人たちも休まねばならない、と言う人もいるだろう。そう、確かにそうだ。しかし公的業務をちゃんと果たすことが第一だ。夜間に働く仕事がたくさんあることを考えてほしい。しごく快適ではないにせよ、やらねばならないことはやらねばならないのだ。警官に、消防士に、病院勤務の人に、漁師に、パン職人に聞くがよい。

 ヨーロッパの多くの国々ではゴミ回収が夜間に毎日行われている。何故なのか? 何故なら、夜間か早朝は交通量も少なく、増えてほしくない小動物たちに対処するための協力があるからだ。

“注意!”私は真似をしろと言っているのではなく、否定的面や肯定的面を見、又“皆”がこの状況の責任をとる必要があると言っているのだ。

 他の種類のことで、ゴミに関する考察を続けよう。

 今年、2050年には80%の二酸化炭素ガスを減らすと言っている。しかしその時期までには我々の多くが死んでいる。紙上で確認はできないだろう。

 他の例をあげよう。それは私が経験上証明できることだ。30年以上前東京に来たとき、東京は世界で最も汚染された都市のひとつだと、統計上世界の科学者たちに言われていた。私は田舎出のヨーロッパ風の昔の教育を受け、白いハンカチを持って東京にやってきた。しかし徐々にハンカチの色を変えていった。使うと黒くなったからである。大げさに言っているのではない、事実だ。

今日、40年以上前から様々な人格者たち(真の人格者であって子どもだましのではない)が戦い続けてきた結果、空気は浄化された。私は大変感謝している。

清浄なエネルギーに関して、私は世界の統計学が示していることをもう一度考えてみようと思う。

日本では原子力エネルギー依存率は1968年の0・1%から、1975年には2・2%になり、1988年には30%になった。2030年には58%になることを期待している。私は、どう考えてよいかわからない。しかしこの問題について、気が付かないということがないように願っている。

世界では(全部ではない)この25万トンの核廃棄物をどうするのか、と問うている。スウェーデンでは地下500メートルの深さに10万年にわたり廃棄物を埋める計画がある。それは使用済み可燃性放射能が自然物のウランに戻るに必要な年月である。

 ゴミにはいろいろな種類がある。私たちはすべてについて、冷静に考えねばならない。

まず、家庭のゴミから始めよう。私たちの意見を見出そう。

             (2009・7)