タイガー立石(立石紘一)。海外で活躍したので日本ではほぼ無名。
1968年よりタイガー立石のペンネームに。1969年よりイタリアに移住。1998年56歳で亡くなる。
1968年よりいろいろな基礎が出来た。7、8歳。フジテレビ『万国びっくりショー』を観てびっくり人間に憧れ、芸を学校の休み時間に披露した。
父からグローブを買うってもらい兄や級友らと戦う。
1コマ~4コマ漫画に興味を持つ。二年後にはたくさん描くようになった。
タイガー立石の影響だ。少年サンデーにカラーページの1~4コマ漫画が掲載された。
タイガー立石がイタリアから寄稿したものだ。面白かった!シャレが効いている!
その発想力がエスパーのネタに役立っている。
びっくり人間、格闘家、漫画家などになりたいと思ったが、お笑い芸人になるとは思わなかった。
タイガー立石をしばらく忘れていて調べたら漫画家ではなく本業は画家らしい。
赤塚不二夫と友好があり、漫画に感化され4コマ漫画を始めたらという。
今見ても改めて秀逸な出来映えだと思う。
また違う回にタイガー立石のことを書くが絵もファンタジーで素晴らしい。
画風はタイガー先生を目指したく久々に4コマ漫画も描きたくなった。
忘年会を盛り上げる