帰りの車の中で、二人とも無口になった。

私たちの関係には、なぜかこうした沈黙の時間が多く存在した。

他人といれば、あまりにも黙り続けることに気まずさを覚えて、どちらかが話しかけるのに、彼が相手の時は、その必要性を全く感じなかった。

むしろ、こうした静かな時間も心地いいと思えた。

高知自動車道は、山間部を縫うように通っていて、長いトンネルが続く。

オレンジ色のライトが寄せては流れ、ゴーというエンジン音が反響していた。

私は、トンネル内のこの光景が好きだった。

まるでタイムマシンに乗って異次元へ旅しているような気分になれる。

ハンドルを握ったまま、彼の方をちらりと伺う。

しばらく沈黙が続いていたから眠ってしまったのかと思っていたけど、そうではなかった。

彼は、私の視線に気づいてもなお、目を合わさずに言った。

「こうしてルーシィとドライブしたり、食事したりする時、私はどうしても人目を気にしてしまっていた。一緒にいる所を、もし誰か知り合いに見られたら、って」

私は、彼の言葉の意図をはかりかねて、彼の表情をもう一度見返した。

「私はいいよ？　ずっと独り身だから。だけどルーシィは、旦那さんと別れてからまだ日も浅いし、事情は知らないけど、まだ一緒に暮らしてる。変な噂でも立ったら困るんじゃないかって」

「なんだ。そんなこと気にしてたの？」

「そう言うと思った。ルーシィは、ちょっと世離れしてるから知らないだろうけど、勝手なこと言う人は、どこにでもいるんだよ」

たしかに、彼と出会った後で、すぐに離婚することになった。

自分の中では、ここ3、4年ぐらい、ずっとくすぶり続けていた夫との関係にピリオドを打ったことと、彼への気持ちは分けて考えていた。

でも世間は、そうは見てくれないのかもしれない。

「だけど、この前のルーシィの思いを聞いて、考えが変わった。

ルーシィは、私が思ってた以上に、真剣にサポートしてくれようとしてて、それに見返りを求めてないって言ったよね。

今まで、私のことをそこまで考えてくれる人なんて、いないと思ってた。

いつか裏切られるんじゃないかとか、結局、自分の利益しか考えてない人たちばかりだったから。

でもルーシィは違った。

だから、もう誰にどう思われてもいい。

別にやましい事は何もないんだし。

だって、私たち二人の事を、他に誰が理解できる？」

そんな彼の言葉を、私は少し後ろめたい気持ちで聞いていた。

「そんな偉そうなこと言ったっけ？」

高速を降りて、街の通りに入る。

コンビニの駐車場に車を停め、彼を見送ろうと外に出た。

すでに日は落ちてネオンライトが明滅し、車のボンネットを照らした。

デイバックを肩にかけながら、彼が言った。

「今日は、ありがとう」

「うん。こちらこそ、ありがと。楽しかったよ」

「最初にルーシィが、私を元気づけるためにドライブに行こうって言ってくれた時、ホントは泣きそうなくらい嬉しかった」

「本当？　大げさだな。ま、元気出たなら良かった」

「それと、」

「ん？」

「やっぱりもう一度、鹿児島へ治療に行こうと思う」

「……そっか。いつ？」

「まだちゃんと決めてないけど、母の入院先が見つかれば、すぐにでも。

ルーシィの言う通り、このままの生活を続けていたら、治るものも治らなくなる気がする」

「急だね、っていうか、いつものことか。ハマダさんは、思い立ったら即行動だもんね。いつだって飛び回ってる」

「ルーシィのフットワークも大したもんだよ。じゃあ、また」

さよならを言って帰ろうとする彼の背中を、私は思い切って呼び止めた。

「ねえ、ひとつ、お願いがあるんだ」

「なに？」

「ハグしてもいい？」

彼は少し考えてから、くるりと向きを変えて、両手を大きく広げた。

「誰かに見られても、知らないよ」

「いいの」

そして私たちは、友情のハグをした。

彼の白く柔らかい服の生地が、私の頬にふんわりと触れた。

彼の体温、匂い、鼓動。

そして声。

それらすべてを、自分のオーラに刻みつけるように。

手を離したら彼は、また遠くへ行ってしまう。

一度目の鹿児島行きの時は、希望を持って送り出せた。

でも今度は、もしかしたら。

不安が、心のシミとなって黒く影を落とした。

我ながら矛盾している。

このままだと、彼はずっと仕事と介護に明け暮れてしまう。

鹿児島に行けば、もっと自分のために時間を使って、治療に専念できる。

それを私も望んでいたはずだったのに。

「どうしたの？」

彼が尋ねた。

私は俯いたまま、無言で首を振った。

寂しさで胸が押し潰されそうだった。

「なんでかな。いっぱい涙が出るよ」

「どういう意味の涙なの？」

「わからない……」

「自分の胸に手を当てて、なんで涙が出るのか聞いてごらん」

彼が優しく言った。

「……寂しいし、不安だし。もっと一緒にいたいのに、いられない。だから、涙が勝手に出る」

「不安？　似合わないね。絶縁する訳でもないし、私がルーシィのこと、嫌ってる訳でもないのに？」

すると彼は、私の心を読んで言った。

「ちゃんとまた、会えるから」

「うん」

そして私は、涙を拭った。

「私、ハマダさんと出逢えて良かった。友達で良かった。

だって男女には終わりがあるけど、友達には終わりがないでしょ？」

彼は弱々しく笑った。

「出逢って良かったは嬉しいね。じゃあ、おやすみ」

「おやすみ。気をつけて。いってらっしゃい」

彼は手を上げて、振り返らずに歩いてゆく。

その背中を見送った。

もう泣いてはいけない。

私が笑顔で見送るのを、彼が望んでいるから。

13 友情ハグ