年配者に対する敬意の必要性 | 悟りのススメ

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どうやら悟りを開いてしまったようです。
現在の思考論理や今に至る経緯などを書いていこうと思います。
思いつきで書いていきますが、文章は苦手なのでご容赦いただきたいと思います。

「おぢ」という最近ネットでよく見かけます。

 

意味合い的には「おじさん」ですが、この言葉の元が頂き女子とよばれる中年男性を上手く利用した女性であったことから、少しつけ込まれて若い女子に都合よく扱われているおじさんということのようです。

 

頂き女子関連のニュースは最近話題に上がっているようで、殺人事件にも関連してSNSや掲示板などでは語られているようです。

 

 

以前から中年男性を表す「おじさん」という言葉に良いイメージは少なく、老害などと侮辱したり蔑む表現がメディアでは見受けられます。

 

これらはメディアなど発信者の自己正当化力の結果であると考えています。

 

しかしながらキレやすい高齢者や自分の意見をごり押しするおじさんを目の当たりにしたこともあります。

 

そこでそれに属する私が当事者として理解できるようにもなってきましたので、その点について書いてみたいと思います。

 

 

高齢者は体力や認知力の低下を意識的に自覚し潜在的に不安感を持っていると考えています。

 

いままでこれで良い、これが良いと思っていたものが全否定される精神的苦痛は知っている人は知っていると思います。

 

ある意味、個人の尊厳さえも否定される感覚に繋がる場合もあると考えます。

 

単純に思考論理がおかしいとか現代的な考え方を知らない話ではなく、長い時間をかけて積み上げた自身の経験や実績を否定されることはその人自身=人格否定と感じるのではないかと考えます。

 

 

時代の移り変わりが速い現代社会では実際にそういった光景もよく目にします。

 

それに準じて早く情報を得た人たちが自己顕示欲・承認欲求を満たすためや自己正当化力でマウントを取りたいために他者を攻撃する光景がネットや現実世界でもみられます。

 

 

自分にとっての当たり前が世界での当たり前だと思う意識は、自己正当化力の結果であり自己愛性錯誤の入り口であることを理解する必要があると考えます。

 

もちろん商業戦略的にそう謳い演じる手法は目につきますので、高齢者側も企業や団体に依存せず踊らされないように注意は必要です。

 

それぞれ事情や都合はあると思いますが、お互い無意識の攻撃にならないように敬意を持って接することが必要だと考えています。

 

 

よくみられるのが他者に指摘や注意するときにマウントをとる勢いの言動をよく見かけます。

 

自分は正しいことを言っていると正義マン的に他者を否定する勢いで指摘する人の目的は、「相手に修正を促す」ではなく「自身の優位性を訴える」の場合が多いと考えています。

 

結局は円滑な社会のためではなく、相手に対する配慮でもなく、自分の満足のために行動していると考えられます。

 

 

いつものごとく思い付きで書いてあっちゃこっちゃいってますが(笑)、結論としては高齢者をキレさせているのは周囲であり、自身の意識と行動でそこまでコントロールすることは可能であるということです。

 

自分より年上だから、高齢だから常識的な行動ができるだろうという自己正当化力でバイアスのかかった意識から脱して他者への理解を深めて敬意をもって接することが必要だと考えています。

 

キレる、激昂するということは逆に言えば限界に達しているSOSにも取れるわけです。

 

どの世代に対しても敬意を持って接し個人の尊厳を侵さないことが最優先であると考えています。

 

 

皆さまの生きづらくない毎日のお手伝いができれば幸いです。