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2004年10月28日
テーマ:マルキ・ド・サド

サドの思想

「死と慣れ親しむためには、淫蕩(リベルタン)な観念と死とを結びつけることより以上の良策はない

- マルキ・ド・サド -



マルキ・ド・サドは18世紀フランスの作家です。
彼の作風から『サディズム』という言葉が生まれました。

度々取り上げているバタイユも澁澤龍彦も、サドの研究家として有名です。

エロティシズムを考えるにあたって、避けては通れないのがサドの思想であり、サディズムです。

なぜなら、死とエロティシズムは非常に深い関係にあり、その関係を突きつめたものがサディズムだからです。


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2004年10月25日
テーマ:澁澤龍彦

女のエロティシズム

男の欲望が攻撃的であり、能動的であるのに対して、女の欲望が受動的であるということは、動かしがたい真実のようである」

- 澁澤龍彦 -



体の構造上、そうならざるを得ないでしょう。

男性は勃起状態でない限り、性交をすることは出来ないのに対し、女性は例えば膣痙攣のような障害を別にすれば、どんな場合でも性交が可能です。
極端な話、死んだ女性とだって、性交は可能です。

つまりは男性がその気にならなければ、性交は出来ない、ということです。


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2004年10月22日
テーマ:ドニ・シュヴァリエ

エロティシズムの性格

「エロティシズムは、性的活動のなかには存在せず、自然の目的と見なされた生殖行為からは独立した、一つの心理学的な探求にほかならないが、一方、形而上学の角度から眺めると、何よりもまず、ある限界の踏み越え、規則と禁止に対する侵犯である」

- ドニ・シュヴァリエ -



この言葉は、今までの総まとめのような言葉である。

考えることができるから、エロティシズムが存在する。
そして、社会という枠があるから、エロティシズムは魅惑的に輝くのである。


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2004年10月21日
テーマ:ジョルジュ・バタイユ

禁止と侵犯

違反は禁止を除去するのではなく禁止を高めるのだ。そこにエロティシズムの原動力がひそんでおり、同時にまた、そこに宗教の原動力が伏在しているのである」

- ジョルジュ・バタイユ -



この感覚は、一度は誰でも味わったことがあるのではないでしょうか。
もし、人間社会に法律や道徳がなく、無法地帯であったなら、エロティシズムは存在しないでしょう。
してはいけないことをこっそり行う時、人は罪悪感とともに、一種の快感を味わうのだから。

宗教とエロティシズムの関係は、また後で紹介します。


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2004年10月20日
テーマ:澁澤龍彦

男女のエロティシズムの違い

「人間の男性が女に欲望を感じるための、最も大きな働きを示すものは、嗅覚でもなく、触覚でもなく、聴覚でもなく、もっぱら眼の働き、視覚である

- 澁澤龍彦 -



男性と女性のエロティシズムの感じ方は全く異なります。

男性は視覚を通して得られた情報に対して脳が判断を下し、脳内で興奮するといわれています。
対する女性は、純粋に感情や愛情でエロティックの度合いが増します。

だから、性交のとき、多くの女性は目をつぶり、男性は目で見ることによって、いっそう欲望をかき立てるのかもしれません。


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2004年10月19日
テーマ:澁澤龍彦

生殖とエロティシズム

「(死との結びつきで捉えられた)エロティシズムは、あらゆる実用的な活動(生殖や子供への配慮をふくめた、あらゆる社会的活動)に対立するものであって、ただそれ自体を目的とする狂気の欲望なのだ」

- 澁澤龍彦 -



この文の後には「だからエロティシズムは悦楽、熱狂、錯乱、狂気などへ高まる宿命を持っており、祭りとか、饗宴とか、遊びとか、戦争とか、犯罪とか、あるいはまた芸術とか、宗教とかの方向を目ざすのである」と続きます。

秩序とか、社会性などというものの枠にはエロティシズムは決して入らず、むしろそれらを破壊する方向に働くものであるということです。

生殖目的の性行動は、少しのエロティシズムを含んではいない、ということです。


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2004年10月14日
テーマ:

このブログについて

今更ですが、自己紹介も含め、このブログの趣旨を書かせて頂きます。

私は現在、某大学院で倫理学を専攻し、「エロティシズム」を題材に修士論文を執筆中です。

修士論文を書くにあたって調べた資料等をもとに、読者の方にわかりやすく「エロティシズム」を紹介することで、「エロティシズム」についての理解をより明確にしようという意図の元に、このブログを書いております。

私はもともと極度の怠け者です。
修論を書くというつらい作業が嫌で、よく逃げ出すのですが、さすがに卒業しないといけないので、ブログという手段を使ってなんとか修論を書く気を起こそうというわけなのです。

ですから、感想や質問等のコメント、トラックバックは大歓迎です。
やや堅い文章で、しかも内容が内容なだけにアレなんですが・・・(笑)
気兼ねなく書き込みしていってくださいね。
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2004年10月14日
テーマ:澁澤龍彦

「見ること」と「見られること」

『「見ること」と「見られること」の弁証法も、性器の隠蔽および強調も、それがイマジネールな世界と関わりを持つだけ、エロティックな度合いを高めることになるような気がする』

- 澁澤龍彦 -


「見ること」と「見られること」の弁証法というのは、例えば、露出症者や覗見症者の中に見られるような「見たいという欲望」と「見られるという不安」の混合です。
これは露出症者等に限らず、一般に認められることだと思います。

「視線」というのは、エロティシズムに大きな影響を与えています。
人間は自分や他人の「視線」を意識することで、想像力を働かせ、エロティシズムを作り出しているのです。

これが、他の動物や植物のセクシュアリティと人間のセクシュアリティとの決定的な違いでしょう。
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2004年10月12日
テーマ:ロー・デュカ

行為とエロティシズム

「愛欲の行為は、それ自体では別にエロティックではない。そのイメージを喚起したり、呼び寄せたり、暗示したり、さらにはそれを表現したりすることが、エロティックなのである」

- ロー・デュカ -


行為それ自体は、食べたり飲んだりするのと変わらない、人間の一行動にすぎない、ということです。
しかし、人間は思考し、想像することができ、またそれを、絵や文章や劇など、様々な方法で表現することができます。

だから、エロティシズムは人間に特有のものなのです。
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2004年10月09日
テーマ:ジョルジュ・バタイユ

エロティシズムとは

「エロティシズムについては、それが死にまで至る生の称揚だと言うことができる」

ジョルジュ・バタイユ -



人間は本来「死」に憧れ、「死」と融合したいと願っている、とバタイユは言います。それは言い換えれば思いきり「生」を感じる、ということです。

生きながらにして「死」にもっとも近づく行為が、エロティシズムなのです。
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