高校の時の国語の先生が怖い先生で、授業の予習がおろそかだったり、宿題の量も、作文で辞書以上の冊子が1年で何冊もできるほどのものすごい量で、忘れようものなら震え上がるぐらい恐ろしいことになるので皆震え上がっていたのですが、愛妻家で、時々「愛妻ちづこ」が作ったケーキを振舞ったり、授業100回記念リサイタルというのがあり、その授業の日は先生が教卓で歌を歌う、という日があり、「ヨイトマケの唄」などを歌ってくれて、今でも忘れられず心に残っています。

授業の内容は、ものすごく難しいのだけれど深くて、その時はただ辛かったのだけれど大人になっても残る貴重なことを教えてくれたし、地域の牡蠣漁師や、遠くから美術家の方を呼んでお話を聞く機会を設けたりと多感な時期に学ぶ機会をいっぱい与えてくださったのだなぁ、と今になって改めてその思いに触れることがあります。

その先生がいつもおっしゃっていたのは、待ち時間用にいつも1冊本を持っておくように、ということと、いつも立ち止まって考え、問題意識を持て、ということでした。

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ネイティヴアメリカンの教えでは、7世代先のことまで考えて、という言い伝えがあります。7世代先の子どもたちの自然や環境まで考えて行動するのだそうです。

このところの豪雨や、海洋プラスチックごみが、豊かさや欲を満たすことを追い求めて生きてきた結果なら、何が豊かであるかの価値は、これから本当に考えさせられるだろうし、変わっていくのだろうと思います。

何かを所有することがステータスだった時代も少しずつ変わり、所有しない生き方を選ぶ人もいるし、価値観も多様化しているし…

でも、今何のために生きていったらいいのか、生きる意味って何なのか?とか立ち止まったところで答えはすぐに出なくて、そんなときに、わからないものはすぐわかろうとせずに寝かせて置いてもいい、と以前言った友人のことばがホッとさせてくれます。

わたしなんかこうしてグルグル考えてばかりだけど、富士山の清掃活動などを毎年行っている野口健さんとか、行動することが大切なんだと行動で教えてくれている気がします。

 その行動に移す前に、きっと立ち止まって考えることがあったからこそがあると思うので、立ち止まって考えることってやっぱり行動の素であり、大切なんだろうと思うのでした。