しょこたんが歌う「京都のお寺〜龍安寺〜 」で始まる龍安寺の歌。Eテレで23:55に放送している「2355」で「おやすみソング」としてときどき流れます。
枯山水で有名な龍安寺。そのお庭のつくりのうつくしさはもちろん、「知足の蹲踞(つくばい)」というのも歌の中で紹介されています。蹲踞は、茶室に入る前に手を清めるためのお庭に備えてある手水鉢のことだそうです。
その上に、「吾唯足知」 と、五円玉のように中央に口、上から吾、右に唯、下に足、左に知、という字が配置されています。真ん中に口があって、それぞれの字にある口の部分がぴったり収まります。
吾、唯足ることを知る (われ、ただたることをしる)
知足の心、禅のことばだそうですが、ヨガでも「Santosa サントーシャ」、Contentment, feeling happy with what we have
わたしたちがすでに持っているものに満足する心、ということばがあります。
今、この瞬間にすべてがある、といわれます。目の前にあるもの、パンや果物にも、太陽があり、土があり、熱があり、水があり、流れ、いのちがあります。そして自分にも、この瞬間にいのちがあり、ここに存在しています。
足りない、足りないと外側に幸せを探し求めたり、物や状況に幸せの条件を求めなくても、この瞬間に自分自身で幸せを感じる力が、誰にでももともと備わっているそうです。
人から、あなたはこういうところが足りない、ダメだ、といわれても、足りないのではなく、大きな海の小波のような小さな差異にすぎません。波のかたちに良い、悪い、優れている、ダメだなんてなくて、ただそこに存在しているだけで、足りない、ダメ、と決めつけているのは、その人の小さな価値観、思考でしかないから、気にすることはなくって、すべてが今、ここにあるだけです。
だから、今日の、今のこのままで、尊重し、慈しむことができれば、思考がしずまり、心が満たされる感じが誰にでも、きっと湧き上がってきます。