「夢を旅した少年 アルケミスト」という本を読んでいます。
少年は、羊飼いをしながら旅をしているので、町ごとに知り合いがたくさんでき、それが旅の魅力のひとつだと思うそうです。ただ新しい友人ができても、すべての時間を一緒に過ごすわけではなく、なぜなら、いつも一緒にいると友人が自分の人生の一部となり、友人は少年を変えたいと思いはじめるからなのだそうです。
友人は、自分が望みどおりの人間にならないと、怒りだす、というところから、「誰もみな、他人がどのような人生を送るべきか、明確な考えを持っているのに、自分の人生については、何も考えを持っていないようだった」と書いてあり、どきーん!としました。
確かに、自分のことは棚に上げて、ああしなよ、こうしたらいいよ、なんて気軽に言えるけど、いつの間にか、そうして欲しい、と期待が入れば、それはコントロールになります。
わたしも気軽に言っちゃったこともあるし、出かけようとしたら、「どこ行くの?」と聞かれて、場所を言ったら、「あそこは絶対に行かないほうがいいよ!つまんないし、帰り大変だよ、なら暑いから屋内にいたほうがいいよ」と言われて、なんとなく出かけるきっかけを失ってしまったこともあります。
でも、どうであれ、経験してみなければ、自分がどう思うかわかりません。大変な思いをしても、それが面白い経験にもなります。
でも、どうであれ、経験してみなければ、自分がどう思うかわかりません。大変な思いをしても、それが面白い経験にもなります。
中国で暮らしていたときは、中国はお店やいろいろな便利なものの発展や変化が凄まじくて、3年いた間にも、随分変わりました。そのときは、卵は目の前ですぐに買えたけれど、もっともっと前からいた人は、「卵ひとつ買うのも、とーーっても大変だったのよ!」と教えてくれました。
わたしも、日本の物がやっぱり欲しいときもあって、わざわざ新幹線で上海に買いに行ったり、飛行機で香港に行って手に入れたりもしました。市場で、怖い野良犬に出くわしてドキドキしたり、反日デモで出かけにくいときに、アニョハセヨ〜と韓国人になりすましたり…でも大変だったことのほうが、印象に残っているのです。
その、行かないほうがいいよ、と言われたローカル動物園も、行ってみたらすごく面白い場所だったのです。
と、話が逸れてしまったけど、人の思いにそうように行動すると、いつの間にか自分が何をしたいか、本当は自分がどうしたいのか分からなくなってしまいます。いつの間にか、相手が主導権を握ってしまうこともあります。そこで力関係が生まれます。
でも、自分がどう選択するかは、自分のものです。
身体がいまどんな状態で、どこが硬くて柔らかいか、どこが調子よく動きやすくて、こわばっているか、どんなこころの状態で、どう思っているか、どうしたいか、知っていくことが、第一歩です。少しずつ、自分の心に沿うように行動すると、心と言葉が一致し、心と行動が一致して、バラバラに感じられた自分が、ひとつの、シンプルなものに思えてきます。
迷ったら、いろいろ人にあれこれ言われて分からなくなったら、まずは自分にどうしたい?と聞いてみましょう!