馬に乗って旅をするときのように、人の体はその馬車に例えられるそうです。
体を知性と心、感覚と分けたときに、音や見えるもの、香り、味、触れる感触などが馬で、馬に乗って旅をする人が自分、馬と乗る人をつなぐ綱が心なのだそうです。
旅をする人は、正しい意思や知性で、馬を導き、走らせます。
でも、馬のほうが、感覚に引き寄せられるままにあちこち向いて、綱である心が騒がしく、しっかり定まらずに引っ張られてしまうと、馬に翻弄されてうまく進めなくなってしまいます。
自分=体、心、感覚と同一視してしまうと、体の状態にとらわれたり、傷つけられたり、人から言われたことやどう見られているかが気になったり、目の前の感覚を満たすものが現れるたびに心を奪われたりして、とても乱されます。自分が傷つけられたり、ダメだと思ったりしてしまいます。
心が傷つけられても、感覚があちこちに向いても、ほんとうの中心にある自分は、傷つけられることも、目先の物にとらわれることも、美しい・醜い、良い・悪いなどの価値観でジャッジされることもないのだそうです。
尊い命を知り、その知性で心や感覚、体を整えることで、旅を順調に進めることができます。
人によって、好きな方法やツールがあるなかで、ヨガも、体の不調にとらわれることがないように体を健康にし、そわそわした心を穏やかにしずめ、冴えた感覚から生じたものを冷静に見つめる知性をもつためのひとつです。
そんなことをゆるめる〜と周りの風景を楽しみながら旅をするように、気楽にやっていけたらいいな、と思います。
