実家のテレビはいろいろチャンネルが映るので、先日中国のCCTVを見ていたら、北京の子どもたちが少林寺を訪ねるという番組が流れていました。

少林寺の少年たちが、北京の子どもに少林寺拳法を見せたり、話をしたり、案内をする…という内容で、お姉さんが間に入ってお互いにインタビューしたりして、少林寺の少年たちも、北京の子どもも同じくらいテレビに映っていました。

少林寺をしている姿は、目を離せないくらい本当にすごいのですが、北京の子と圧倒的に違いを感じたのは、ただ立っているとき。北京からの子は、立っている間も無意識にゆらゆら動いていたのですが、少林寺で鍛えた子は、立っている間、静止している…!

お姉さんもこれに気づいて少林寺の子に質問をしたら、身体をコントロールできているからだとのこと。練習を重ねて、身体のすみずみまで意識が向くようになれば、そうなれるよ、と話していました。

その後、少林寺の先人たちが練習した場所を案内していて、その場所の、石畳でできた床がへこんで、ぼこぼこになっていました。少林寺の人の話によると、先人が同じ場所で何度も練習して、同じ場所を踏み続けた結果、床がへこんでしまったのだそう。それを見る度、自分ももっともっと、練習しなきゃと思うのだそうです。

そして、北京の子に少林寺を教えるというときに、片脚を曲げて、もう片方の脚を伸ばすというので、脚が伸ばせない子がいたのですが、「もっと練習して、柔軟性が上がれば伸ばせるようになるよ」と声をかけていました。

「練習すれば、できるよ」という言葉、短いながらもとても深いなぁ、と思いました。練習すればできるようになるという、その子に対する希望のまなざしがあり、厳しいなかでも優しさのある言葉。

例えば、ジャンルに関わらず、「気持ちが足りない」とか、「そんなこともできないのか」という言い方をする指導者がいますが、ひどい!気持ちなんて主観だし、客観的に測れる伝え方をしないと、本人はただ傷つくだけで、今後どうすれば伸びるのか展望が持てない。練習すればできる、と言われれば、今の自分の立ち位置が分かり、「もっと練習しよう」という気持ちになれたり、どのような練習をすればいいのか考えたり、質問したりもできます(^^)そういう感じがさらっとしていて、爽やかで、好ましいな~とぼんやりと観ていました。