最後はスラウェシ島で幽閉されていました
ロッテルダム要塞でなくなるまで幽閉された後、この地に埋葬されました。
ブギス人式の屋根が多い中、ここは
門からしてジャワ風の屋根のデザイン
門は閉まってますが、どこかからか (たいていその辺でお茶飲んでたり、近所の人と喋ってたりする)係の人か、知り合いが見てて、入りたそうな人がいたら開けてくれるか、開けられる人を呼んでくれる。インドネシアではよくあるスタイル
門の中には、ジャワらしい
ジャワ戦争中にゲリラ戦にも同行し、逮捕された後スラウェシまで同行したらしい
このお墓の部分には靴を脱いで入ります
これは ディポネゴロ王子の家系図
墓地の奥にはお祈りする部屋や、応接する場所があり、そこにはいろいろ資料も展示してあります。
うえにはジャワのマタラム王家の祖先の写真
ここの掃除をしていたおじさんがいろいろ説明してくれたのですが、
この方 ディポネゴロ王子の子孫
ディポネゴロ王子にはスラウェシに流されるまでにたくさん奥さんがいたので、子供も21〜22人いるとされています。
そのうちスラウェシについてきた元奥さんの子供と、この地で生まれた子供が7人とされていて、そこから続いた子孫のお墓がこの場所です。
このおじさんはRaden Hamzah Diponegoroで、王子の直系5代目だそうです
応接する場所には、マゲランでの和平交渉(ディポネゴロ王子が逮捕された時)の席次が再現されていて、もちろん本物はマゼランの博物館にあるそうですが、どの位置にディポネゴロ王子が座ったかわかるようになってます
ディポネゴロが逮捕された後、ジャワに残された子供は影響を考えて、ディポネゴロの子孫と隠した人もいたため、近年になってから家系を調べたら実はディポネゴロの子孫だったという人がいっぱいいたらしい
子供が20人以上なわけだから、今は1000人くらい子孫がいるという
政府からディポネゴロ王子のお墓をジャワに移転させる計画も申し入れられたが、ディポネゴロの遺志に基づいて、スラウェシから動かすことをこのおじさんを筆頭に反対したらしい
今もこの直系の子孫がお墓を守っています
お墓の横には寄付の箱もあるので、そこは忘れずに
Makam Putra Hamengkubuwono III , Pangeran Diponegoro
Jl. Diponegoro, Melayu, Kec. Wajo, Kota Makassar, Sulawesi Selatan







