先月、母が亡くなった。まだ71歳だった。
フラダンスが大好きで、私よりずっとオシャレで女子力の高い人だった。
母は長らくリンパ腫を患っていた。一人暮らしをしながら入退院を繰り返し、闘病してきたけれど、昨年10月ごろから急に状態が悪化した。
コロナ禍の病院においては、一目顔をみたくても、たとえ家族でもお見舞いは一切叶わず、ましてや県外の私や子供など門前払いだった。
年明けに脳への転移が発覚してから、みるみるうちに意識レベルが低下していった。母は、自宅での最期を希望していた。
そこで医師から「血圧がかなり下がっている。意識が少しでも残っているうちに、在宅看護に切り替えては」との提案があった。
ただ、年度末近くで部署は一年で最も忙しい時期。
異動して間もない私にとって、この時期に長期休暇を申し出ることには、勇気が要った。
そこで、まずは1週間と期限を決めて休暇を取り、母の自宅近くに住む妹と、母を在宅看護することに決めた。
積極的治療を全て終えた母の、最後の時間を家族と過ごすための看護。
住み慣れた自宅で、最期を迎えるための、神様から与えられた時間。
1週間の間に、もしも母の容態が変わらなかったら、私は東京に戻るのか?
その間に都合よく、母を看取ることができるのか?
24時間看護なんて、もちろん経験がない。
点滴やおむつの交換の手順は、初日に在宅看護師から教わることになっているけど、私にちゃんとできるのだろうか?
そもそも、人は最後の瞬間、どうなるのか?
医師のいない自宅の部屋で、母をどう、見送ればいいのか?
分からなかった。でも、とりあえず帰ることにした。
そして、1週間後のことは、その時に考えることにした。
母は、私と妹、そして3人の孫たちと自宅で10日間を共に過ごした後、旅立った。
それは、あたたかく、かけがえのない時間だった。
少なくとも、私たち娘、そして孫たちにとっては、素晴らしい時間だった。
母にとってもそういう時間であったことを心から願う。
と同時に、それは、思っていたよりも、壮絶なものだった。