2010年2月7日
地下鉄で恵比寿にある東京都写真美術館へマザーテレサ映画祭を見に行く。
乗り換えで電車を待っている間、線路内に小さな影が見える。

目を凝らして見てみるとねずみだった。

ねずみはレールに隠れてしばらく見えなくなってしまった。

消えてしまったのか、見間違えなのか、もう一度ホームから身を乗り出し見てみると。
こちらから少し隠れた位置でさっきのねずみは、死んだ仲間のねずみを食べていた。

16:00~マザーテレサとその世界、マザーテレサの祈り 生命それは愛
(日本の来日映像や、マザーテレサの活動を収録)

ロイヤルソイミルクティーとマフィンでブレイク。2本目を見に行く。

18:00~母なる人の言葉(1997年のマザーテレサの国葬、インタビューを収録)

2本目の方が好きだった。
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映画の中に、『カルカッタの路上生活者。
飢えや、寒さからもう動けなくなってしまい、ねずみや蟻に体をかじられていた』
とナレーションが入った。
私は、地下鉄で見たねずみを思い出す。

死んだねずみを、仲間のねずみがかじっていたあの姿。
それをホームから見下ろしている私。

命はみな等しく価値あるものでなくてはならない。

あの線路で死んでいったねずみと、カルカッタの路上生活者は、同じようにねずみにかじられていたのかと思うと、胸が苦しくなった。

瀕死の路上生活者がマザーの死を待つ人の家に運ばれてくると、まず名前と宗教を聞く。
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万が一最期を迎えても、その人の宗教で儀式を行うため。

マザーテレサが世界を平和にするために大切なことが二つあると言っていました。

一つは、謙虚さ。
神に対して、人に対して、常に謙虚であること。
二つ目は、柔和さ。
この柔和というのは、マザーが、それぞれの信じる宗教で儀式を行ったところにとても現れていると思う。

目に見える貧困、物質的な貧しさというなは、例えば食べる物がないとか、寝る場所がないなどは、物が満たされればすぐに解決できます。
ただし、日本のように物質的に満たされている国は、飢えが見えにくいです。心の貧困、愛の貧困は、目には見えません。
私たちは、素晴らしい時代にいま立っていて、愛の行動をとる為に生まれてきたと感じました。


マザーの言葉

たいせつなことは、どれだけたくさんのことや
偉大なことをしたかではなく
どれだけ心をこめてしたかです

とあります。


小さくてもいい、昨日より、さっきより、愛の溢れる人間でありたい。

地下鉄のねずみに導かれたような気がしました。
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ありがとうマザー。