オーストラリア~ericco'sメルボルンライフ~ -424ページ目

盗人よ、お見事!!


redio

さて、ホストファミリー滞在期間が終わりを告げ、私は例の古宿へと戻った。
久しぶりに戻った事を女主人のマーガレットは喜んでくれ、新たに2階の角部屋を私にあてがってくれた。
陽当り良好、小さい机が窓辺に備えつけられていて、学校の宿題をするのにおおいに役立った。
そして、ここで知り合った日本人とも仲良くなり、再び楽しい生活が始まった。
私が入居した直後ある日本人の女性が日本へ帰国することになっていた為、私は束の間でも仲良くしていただいたお礼に、朝早く起き見送りをすることに。
まだ誰も起きていない朝もやの漂う5時過ぎ。
彼女は最後に、滞在中にずっと大切に持っていた小さな古びたラジオを私にくれた。
私はそれを共同リビングルームのテレビの横に一時置き、再び彼女にサヨナラを告げ戻ってみると、なんと置いておいたラジオがそこから消えていた。
この出来事は時間にしてたった5分か10分であった。
私は驚きと、明らかに犯人はこの宿の住人であることを確信し、「いやぁ、お見事!」と思ってしまった。
あの古いラジオを朝早く盗んで行く人がいたとは。凄い!
この教訓から、以来私はどんな時も貴重品だけは身に付けて行動していた。
この過剰なくらいの用心する習慣が以後、私のワーキングホリデー生活の中で何度か生かされることになった。
それらの話は、また後ほどお話しましょう。

生活のリズム with ホストファミリー

私のホストファミリーの家のリビングルームは、マザーの芸術品と、ファザーの本棚で飾られていた。
ソファーには黒猫がいつも寝ていた。
夜は夕食と共にジャズが流れていた。
食後はしばらくそれぞれの時間を過ごす。
ファザーは下にあるテレビでニュースを見て、私は猫が隣で仰向けで寝転がっているのを見ながら音楽に浸り、マザーは小さなアトリエで絵を描く。
その後部屋で宿題をし、分からなくなるとファザーかマザーに助けを求めに行く。
これが私達の生活のリズムだった。
私はこの生活が充分に満足であったし、朝起きて猫に餌をやる事も楽しみの一つであった。
学校は2カ月間通ったが、ホストファミリーにお世話になっていたのは1カ月だけであった為に時間が過ぎるのはあっという間であった。
限られた時間の中でこの家族は私をとても大切にしてくれた。
私が元の古宿へ戻った後も食事に招いてくれたり、困った事があったらすぐ連絡しなさいと心配もしてくれた。
時々他の友人のホストファミリーの中には余り評判の良くない家庭もあったが、私は前回に引続き、今回も素晴らしいファミリーに恵まれ、良いクラスメイトにも恵まれた。
ファミリーに何処かに連れて行ってもらいたいとか、外食を時々したいという希望を持っていてそれをホストファミリーがしてくれないと不満を漏らす人は、多分私がお世話になった家族の所は向いてないかもしれない。
そして、彼らとその国の生活のリズムを共にして溶け込んだ瞬間にそれを受け入れられるかどうかはその人次第だと思う。

緊張のガソリンスタンド


service station

語学学校在学中に知り合った日本人2人と、ホリデーでブリスベンから車でヌーサという町へ行った。
地図を見て、友達とワイワイ確認しながらする旅は結構楽しいものだった。
日本と交通ルールはほとんど同じで、比較的運転は簡単である。
しかし、問題はガソリンスタンドでの給油であった。
当時はまだ日本には無かったセルフと呼ばれるシステムがこちらでは当たり前のようになっている。
日本のようにスタッフがガソリンを入れてくれ、窓を拭くスタンドは皆無である。
それを知らない私達は、車をガソリンスタンドに停めてスタッフを待った。
しかしスタッフは現れない...。いや、現れるはずがない...。
私達は、外に出て店内にいるスタッフに視線を注いで待つ。
スタッフは私達を見ると、不思議そうな顔をして出て来た。
「どうかしましたか?」とスタッフが言う。
私達は「ガソリンを入れたいのですが。」と言うと、彼はすぐに察し早速給油の仕方を教えてくれた。
ホストファミリーとガソリンスタンドで給油する経験をしたことの無い私は、その時初めて自分でガソリンを入れなくてはいけない事を知り、何故か恥ずかしかった。
今でも給油は私にとって緊張するひとときである。