京都へ | 渡辺えりオフィシャルブログ「夢見る力」Powered by Ameba
2013-04-13 01:39:33

京都へ

テーマ:講演会


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今日は公演の休演日でしたが、劇作家の川村毅さんに依頼されていた

川村さんとのトークショーのため、京都に行ってきました。

京都造形芸術大学の中のスタジオでやりました。

川村さんは毎週金曜日この大学の教授をしているのです。

この大学には「春秋座」という歌舞伎を上演するための劇場があるのです。

800人入り、花道まで付いているのです。

こんな学校で学べる学生さんは幸せですね。
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川村さんが座高円寺とこの春秋座で上演するパゾリーニの戯曲にちなんで

私が上京してすぐに池袋の文芸坐で観た「豚小屋」や「テオレマ」「アポロンの地獄」などの話をしました。

上京してきた当時はアルバイトの日々だったので、文芸坐でまとめて数本の名画を観た話。

夜から朝方までフェリーニやパゾリーニの映画を良く観られたものだ。

難解な作品に潜むメッセージを解読するのが楽しく、当時は暗喩、比喩は当たり前だっという話からパゾリーニという人の生き方の話など。

キリスト教の社会の中で同性愛者だった彼が作品を作り続けながら生きていくのは大変だった。


思想的には宮澤賢治に通じるところがあったと以外なことを川村さんが言った。

農民の手助けをし、自給自足の平等な社会を夢見ていたという。

最後は男娼に撲殺されて亡くなったとされているが、その男娼は無実を主張していて今も元気なのだと

川村さんが言った。


「豚小屋」を初めて観た時、なんて面白い映画なのだと思った。モノクロの豚小屋の映像に早口でずっと喋っている男の声だけが聞こえる。何分も人物の顔は映らない。

「豚小屋」狭い小屋に閉じ込められ、餌を与えられ、殺され食べられる時を待つだけの暮らし。

まるで自分たちは豚小屋の豚ではないのか?

喋る男が人なのか?豚なのか?分からなくなっていく。社会に犠牲は必要なのか?

豚が人にとってのそれであるように人間社会は何かの、誰かの犠牲によって成り立っている。本当にそれで良いのか?といった問いかけだったように思う。

そういえば宮澤賢治も似た童話を書いていたっけ。殺される豚の悲劇を。

今上演している「根っこ」も宮澤賢治を思い出す戯曲である。

そして宮澤賢治は明治時代と大正時代を生きた人。ウェスカーもパゾリーニもそれに比べれば

最近の人である。改めて宮澤賢治は凄いと思ってしまいました。
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これを作った方の名前を忘れてしまいました。すみません。

下のポスターの中にたけしさんが映っているものがありました。


今日の学生さんの中に51歳の女性がおられ、「女性」について質問された。

時間切れで短くしか答えられなかったので、近々ブログに書いてみたいと思いました。


その方の質問は80年代なぜ急に女性劇作家たちが活躍しはじめ、マスコミに取り上げられるようになったのか?そして、

パリのオルセー美術館に並んでいるのはほとんどが若い女性の裸体の彫刻である。

かつて芸術は女性には許されていない仕事であった。昔の芸術家に女性がほとんどいないのは才能がなかったからではなく

許されていなかったからだ。その証拠がオルセー美術館にあるというのである。

長くなりました。次回にします。

明日は12時と5時の二回公演です。頑張ります。


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