父親たちの星条旗 | もうひとつの場所と自分

父親たちの星条旗

父親たちの星条旗 」を観てきました。先日府中くるるに行った時に観そこなったので、改めてあらかじめネットで予約して今回は六本木ヒルズまで深夜行って観てきました。


父親たちの星条旗 クリント・イーストウッド監督ということで話題なのですが、題材が太平洋戦争で壮絶を極めた硫黄島での戦いをテーマにしているということで、いまいち観たい映画じゃなかったです。映画はぼくの楽しみとしては、非現実的なことがあたかも現実に起こったりするのが映画であって、いわゆるノンフィクションな映画って好きになれません。特に、戦争が題材の映画はこれまでほとんどと言っていいくらい観た記憶がないです。そんなぼくだからかもしれなけど、この映画はある意味ショッキングな映画でした。ホントに現実に起こってたことなんだということがさらに身震いしてしまうくらい怖かった。


硫黄島での戦いで生き延び3名の若者が、硫黄島にある擂鉢山の頂上に星条旗が高らかに翻るその瞬間を捉えた1枚の写真に写っていたということで、自らの思いとは無関係に“勝利の象徴”として英雄に祭り上げられ、戦費のための国債購入のためのキャンペーンに駆り出されていく流れなんだけど、いつの時代も権力者は自らの手を汚さずに若者たちをうまく利用していくんだなと感じたひとコマです。戦争がそうさせてしまうのかもしれませんが。彼らの歓迎式典で次々に打ちあげられる、砲弾のような花火の轟音が、平和で華かやな場から一気に、砲弾の雨が降り注ぐ戦場のシーンが脳裏に蘇ってきてしまう彼らを観ていてとても胸が苦しくなります。実際に戦場を経験して多くの戦友の死を見てきた彼らからすると、歓迎式なんてとんでもなくある意味生き地獄な経験だったのかもしれないですね。


たった1枚の写真がそんな彼らの運命を変え、アメリカ国民を変え、太平洋戦争を変えたんだと思うと、写真には時には恐ろしい力があるんだということです。日本に比べて豊かだったアメリカだけど、戦争となると「おかしいぞ」と思うことでも何かに縋る思いが大きな波となって動くんだということなんでしょう。まぁ、それを見越して作られた写真だったのかもしれません。都合がよかったのでしょう、一部の人間には。大きな見えないチカラが。


・・・・ところで、ぼくは普段もそうなんだけど人の顔と名前をすぐに一致させることが苦手です。この映画、登場人物が結構多くて覚え切れません。観てる間も、あ・・・あれ誰だっけ?なんて感じでした。DVD発売になったらまた観ようとおもいます。