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Amebaに来るのは4年ぶり?

 

先日某72時間テレビを見て、少しゴローちゃんのブログを読みたくなり気にはなっていた。それも忘れ、アニメ「ネト充のススメ」を見て嘗てを思い出し懐かしくなり「原作は休載しているようだけど、どうなったんだろう?」と気になり作者のブログを読む。思わずコメントを書きたくなり残す為にログインした。

 

作者の容態は余りに自己に酷似していた。私は退社後十八年たつが今なお続いている。この系統の疾患の辛いところは解決策が無いこと。当然である。原因がわからないから。アメリカでは既に百万に一人と呼ばれるほど市民権を得て尚も増殖中だが、あのアメリカですらある意味での市民権を得ていない。日本なら尚更であり医師ですら知らないものも多い。しかも数値で図れる症例が少なく、その上で数値で図れる人は相当な状態である。問題なのは数値に出ない人や、数値には出せない部位の人が恐ろしく多い点。挙句に心疾患と間違われたり、判別が難しい点にもあろだろう。

 

モリモリちゃんじゃないが、私も壊れた退社した。一年では無理だろうと直感でわかる。上司からは「休職でもいいからと」とススメてくれたが、「休職で済むレベルではない」ことは本人ならわかる。それでも十年すれば死ぬか生きるか白黒ハッキリするだろうと、最初の三年は完全に安静に過ごし、その後、貯金が尽きるとマズイからとチョコチョコ仕事しながらギリギリの生活を続け、腰を据えて休むことにしたが、そんなに世界は優しくなかった。十八年たつが未だに改善はされても治ってはいない。改善の歩みはナメクジのように遅く、悪くなるのは一瞬。

 

今、自身もどうしようか考えている。死ぬことそのものは最早恐れる感覚はない。飽きるほど「もう駄目かも」と思ったので恐怖はない。寧ろ恐ろしいのは生きる方にある。ほんの少しでも無理をすれば日常のサイクルの中でダメージがリカバー出来ず負債が溢れかえる。何かをするということはそのまま無理につながる。さりとて何もしないで生きるには余りに時間が多い。このトラブルの厄介さは、いよいよになると何も出来なくなる点にある。本は愚か映画もテレビもYoutubeも音楽すら苦痛に変わる。最後には日常の音にすら「疲れる」ようになる。横になりながら「横になりたい」と考えるようになる。

 

先日も2日普通に仕事して、そのダメージのりカバーに10日かかっている。もう少しかかりそうだ。今はまだいい。ただしリカバーは体力の衰えと比例し確実に遅くなっている。結論も覚悟も出ているのだが、他に方法は無いか諦めずに模索している。そしてアメリカの例を見ても日本も今後確実に増えることはハッキリしている。最もこの18年間がそうであったようになってみるまでは最後までわからないだろう。アレルギーで苦しんでいた時に他人は「大袈裟」「根性なし」と罵り「アレルギー」「アナフィラキシーショック」という言葉が浸透してようやく理解する。他人には絶対にわからない。見た目ではわからないからだ。

 

「どうしてこうもわからないのか?」謎の解明の為に、最悪の体調の日は自撮りを続けてわかった。自己の感覚と余りに乖離している。一見すると平気そうに見える。風邪の時のように「きついよ~」って顔にならない。でも内心は死ぬほどキツイ。これを健康な人間がわかるはずもないとメタ認知した。医者であろうと同じだ。わかるのは同じ病をもっている人間だけ。違うのだ。決定的に。目や顔や身体にまるで精気がない。幽霊のよう。しかもそれはあからさまではない。「おや?」というレベル。健康な人にわかるはずもない。声をかけられたこともあるし、声をかけたこともある。泣かれたことも。

 

これも目一杯書いているが、眠いのを堪え、辛いのを堪え、右目だけ開いて書いている。作者が少しでも元気になることを他人ながら願わずにはおられない。何せ他人事ではない。この症状は程度によって全く次元が違うから、少しでも軽いことを・・・。ああ、疲れた。パトラッシュ・・・。いや、パトラッシュがいたら疲れるからいいや。生き物が側にいるだけで疲れるから。うっかり今日のエネルギーをこんなことに使ってしまう迂闊さ!(;´ω`)ウッシッシッシ