骨格調整を学んでから、身体というものは本当に奇跡だなといつも思います。

ただ、その奇跡の動きに感謝できる人は少ないのかもしれません。

 

毎日のことだから、当たり前だと思いがちだけど、歩行一つとっても、実は当たり前ではないのです。

例えば、人間が一歩を踏み出すとき、ほとんどの人が足が動いていると思うかもしれませんが、動いているのは足だけではありません。

全身の骨格と、それに付随する筋肉、それらすべてがくまなく働くことによって、奇跡の一歩を踏み出すことが出来るのです。

ですから、全身のどの部分、例えば指先一つでも不調が出れば、歩行に影響が出てきます。

歩けることは当たり前ではないのです。

ただ、その時には、影響が出ないように他の部分が補填し合っているので、指を怪我したからと言って、急に歩けなくなることはないでしょう。

そうやって、日夜懸命に身体を動かし続けているのに、いたわるどころか酷使し続けてしまっている人も多いのではないでしょうか。

それどころか身体にこんな言葉をかけてはいませんか。

『ここが悪いんよ』

『ここを変えたい』

身体の痛いところや、嫌だなと思う部分に対して、愚痴や文句をつい言ってしまっていることありませんか。

ダイエットもそうですが、身体は充分機能していて、身体のせいではないにもかかわらず、何かうまくいかないことを太っているせいだ、などと身体のせいにしていることもあるのではないでしょうか。

その時に

『やせたい』とか

『自分を変えたい』

と思うことはあっても、

今までしてきた生活を振り返って、無茶をしていたことを身体に向かって

『ごめんね』

『いつもありがとう』

って声をかけている人は少ないように感じます。

身体の動きは無償の愛なんですよね。

24時間365日、ずーっと黙って動き続けてくれて、どんなにひどい目に遭っても文句ひとつ言わずに、それでも働いてくれています。

それなのに、使っている人間は、そんな身体を嫌だという。

周りの人と比較して、同じじゃないから嫌だという。

それって正しいことなのでしょうか。

一人一人が与えられた身体は、それぞれにとって必要で最適なものだと思います。

ですから、どんな身体であっても、与えられたその身体で生きる意味があるのかもしれません。

そう考えると、今の身体は、私にしかない、私のための、私の身体です。

世界中を探しても、同じ身体の人はいない。

その私にしかない宝物のような身体を、私は今日も『ありがとう』と言いながら労わります。

何か不調や不具合が出てきたら、それは身体のせいでも、食べ物のせいでも、環境のせいでもない。

その時は、私が身体に感謝が出来なくなったからだ。

年齢を重ねてもなお、私は私のこの身体が愛おしい。

世界にたった一つしかない、私のこの身体が。

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