去来 | 逸脱と研鑽の公案

去来

生まれたとき、親が居て、
育てられた、家族があり、
学んだ、学校があり、
あるいは修練にまつわる、集団があり、
住処の傍には、近所が居て、
価値を生産しだすと、会社などの組織と交わり、
その過程で、恋人ができ心躍らせたり悲しんだり、
そしてまた、世帯を持つと生活をともにする人が生まれ、
その気になれば、子供ができ家族となり、
病めば、病院、
老いれば、ケアハウスなり介護なり、

ああ、つまりは、人とのつながり、関係によって、
生の文脈は生まれるのであるなぁ、と思いました。

だからこそ、ふと人とのつながりの外に出て、
別個の人と人の世界へ身をさらす、
旅は大事なのでしょう。

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歩む過程で、出会いもあれば別れもある。

いろんな道筋が取り結んだり、並んで走ったりし、
自らのみちも、
時としてにぎやかな交差点になり、
時として静謐な林間のけものみちであったりする。

みちのゆくえは、
思いと努力と偶然と、最近はその代替物である金銭などでも、
動いたりするようです。

時とともにうつろうので、
まるで船出のように、
都度その次の一歩の意味を腹に据えながら、
祈りながら動き出せば、
どんなみちでも、歩みはしっかりするのでしょう。

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さて、私の生活にも、新しい伴侶が。

といっても、犬なのですが。

テオドールという名前です。

何かの縁で、暮らしを共にする、道行です。

同行2匹になりました。

彼らにも彼らのみちがあり、
それはけものみちですが、
その先の幸せを、
私自身のそれを思いながら、
一緒に祈りながら歩もうと思います。

よい出逢いに。 よい未来に。

すっかり夏な、この昔の避暑地の寓居にて、
テオの寝姿を眺めながら、とびきり冷やした白ワインを飲みます。