殺人容疑で中国人の男逮捕 広島、男女2人死亡

2013/3/14 19:20 (2013/3/14 20:01更新)


14日午後4時半ごろ、広島県江田島市江田島町切串3の水産会社「川口水産」で、男が刃物を持って暴れていると110番があった。広島県警によると、男女2人が死亡したほか、女性1人が意識不明の重体で、別の女性4人も負傷したという。県警は現場にいた男を殺人容疑などで現行犯逮捕した。男は水産会社の中国人研修生とみられ、身元の確認を急ぐ。

 県警によると、死亡した男性は水産会社の社長とみられる。重体の女性は広島市消防局のドクターヘリで広島市内の病院に搬送された。重体や負傷の女性たちは当時、作業中だったといい、県警が詳しい状況を捜査している。

 現場は漁港の海岸沿いで、フェリー乗り場に近い場所。近所の住人によると、付近はカキの加工場が数軒並んでおり、養殖用のいかだから水揚げしたカキの殻を作業員がむく仕事をしているという。

 江田島は広島市沖にあり、旧海軍兵学校があったことで知られる。〔共同〕 日本経済新聞電子版より



先のニュースで広島県の水産加工会社の社長を含めた数人の人々が殺傷された事件がおきました。

容疑者の中国から来ていた研修生でありました。

この事件で浮き彫りになったのが、先進国の技能を伝える「外国人研修・技能実習制度」と称したうわべだけの国際貢献で、実態は単純的長期労働で賃金も少なく最終的にその害悪が己の身に降りかかってきました。


ここに一つの書籍があります。


安田浩一氏の著した『外国人研修生殺害事件』というタイトルの本で、その全貌を引用すると、千葉県木更津市の養豚場で発生した殺人事件に、この国の荒廃と病理が凝縮されていた。とめどなくグローバル化していく日本経済は、“国際貢献”の美名を掲げて新しい奴隷制度の構築さえ求めるに至って、そのニーズに応じるビジネスが続々と誕生し始めた。見えない鎖に繋がれた「外国人研修生」という名の奴隷たち。深層海流を追って、安田浩一は中国・黒龍江省はチチハルの町に飛んだ──。
素晴らしい取材をしている。同業者として嫉妬を感じる。 (斎藤貴男)
とされていました。


http://www.pen.co.jp/syoseki/syakai/0738.html

この容疑者の中国人研修生の環境はかなり劣悪だったものらしく、その職場において同郷は一人もおらず言葉も不自由で中には奇異な目で見るひとも多かったことでしょう。 特に広島県は元来から保守性が強く都市部にくらべ地方での閉鎖された空間ではある種の見えない偏見があったかもしれません。

私も一度飲食店でのバイトを経験しましたが、仕事の大変さもさることながらそれ以上に人間関係でのストレスの方が大きいものでした。 仲の良くない人とも関わらなくてはなりませんし、それが言葉も通じない水知らずの土地でたった一人だと考えたら同情は避けられないと思います。

容疑者の中国人研修生の行なったことは決して許されることではありません。

しかしそうなる前に何らかの手を打つことだって出来たでしょうし、私たち日本人が最も欠けている異国人への理解というものが問われる事案でもあります。

そして今回はよく論議される諸国民の性質というものを探っていきたいと思います。

巷では、日本人は真面目かつ勤勉で誰よりも優れた「モノづくり」ないし全てを調和へと導く「和」の精神を持っているとされていますが、前者は原発事故で後者は排外レイシズムで脆くも崩れ去りました。

そもそもこういった話をするとき、実体とはかけ離れた理想論になりがちである国民ごとにイデア的形相(本質)を持ったものだと想定されて、最終的には独断論となり他者への軋轢や偏見を生む温床となります。

全ての学術的な科学含め、ほんとう」など存在しなく相対的な唯名論で成り立っており膨大な観察的帰納操作を経て成り立っているのが現状です。ましてや個々人の狭い感覚の中でしか判断できない現実の事象となると、真実を探るのは不可能に近くましてやその行為自体が間違ってもいるのです。

そもそもなぜこういった「決めつけ」が行われるようになったのかというと、歴史的に見て意外に最近のことだったのです。 18世紀末ごろにアメリカやフランスで市民社会が成立してそれ以前から英仏ではある種のプロトナショナリズムが醸成されて世界に先駆けて近代国家への脱皮を果たしていきました。

その中で必要となったのが、資本主義の発展に合わせて労働力の確保国内における民衆を斉一的にまとめあげて資本増強による対外膨張への婢(はしため)、つまり兵士にして「国民=『国家』の臣民」という図式が構築されてそれが19世紀においてドイツ観念論と迎合して絶頂を迎えました。

 

学界で俊英であるベネティクト・アンダーソン博士は、民族学において「国民の創造」を提唱し同分野の先達の所産を適切に発展させて見事パラダイム化(定説化)に成功しました。

氏は元来「民族」など存在しなく、特定の地域で特定の発展を遂げていった人々の間にある種の「原初的民族精神」なるものが生まれて、最終的に「出版資本主義」などを通して国家の意図によりまとめ上がられていきました。この「出版資本主義」というものは、英帝国をはじめとする近代国家が推し進めてきた政策で、膨張する資本主義をさらに拡大擁護していくなかで19世紀に現出した「第一次グローバリズム」を土台とし、世界各地に張り巡らされた海底ケーブルを筆頭に通信・郵便・交通インフラを利用して圧倒的な情報戦略として、「時間の同一化」を経て各民衆が「同じ文字」(各国民の言語)で書かれた新聞メディアなどを通して「知ること」を共有し一種の「一体感」を植え付けさせるものでありました。

また時代は自然科学の一大センセーションの時で、ダーウィンなどの生物学者が進化論を築き上げてヴィクトリアン・サイエンスの主潮が出来上がりました。社会科学面でもハーバード・スペンサーなどが既にいち早く社会学における「進化論」を提唱していましたが、ダーウィンの影響により特に文化人類学においてその影響を色濃く受けました。進化論自体は着実にインテリ層に浸透して一種の「はやり」的な雰囲気で、何でもかんでもそれに当てはめることが妥当とされました。そしてこれが19世紀のオプティミズム的科学万能主義と迎合して、アメリカ文化人類学者のルイスモルガンが『古代社会』(1877年)であげたような、全ての文明・文化が独立発生しそれが斉一的に発展してヨーロッパ文明を至上終着点とする社会進化論が出現して当時の西洋の思想・科学・文化・経済・政治すべての分野の根幹とされてまったくの揺るぎようがありませんでした。


つまりこれが「近代主義」といわれるもので、アプリオリ(先験的)にヨーロッパ文明と照らし合わせてみてそれに近ければありがた迷惑な「文明」となり、遠ければ「野蛮」と理不尽なレッテルを貼られました。

後に近代主義思想は西欧の没落と共に消え去り、戦後におけるポストモダン派の攻撃の的となって近代主義のもととなった古代ギリシアの本質主義的なプラトンのイデア思想にまで遡るとされました。

最終的に申しまして、諸国民は個別的な経験の中での選択を通して独特な自我なるものを構築し文明・文化なるもが出来上がったと想定します。しかしそれはまたひとつの一般性に過ぎず個々人においても千差万別な経験を経て人生における「選択」をしながら己の精神や思考を打ち立てております。

なので「A人だからこう」とか「B人だから駄目」という鋳型におさめることは何より誤解を生み、先にあげた「近代主義」的な陥穽に陥る危険性を孕みます。たとえば今回の事件についても「悪い中国人」を想定するのではなく、どうしてそうなってしまったのかということを考え、物事には必ず作用された原因がありそれをいかにして導き出すのかが偏見に打ち勝つひとつのカギとなります。

<参考文献>

・『文化人類学入門 増補改訂版』 祖父江孝男著 中公新書

・『文化人類学15の理論』 綾部恒雄編 同

※PCの不具合により改行が行えず見えずらいところがあります。