正月ぐらいに書いた文を忘れてました。
書きなぐりなので全くまとまりがないです。
しかも途中で終わってます。
実家に帰省してます。
親というものについて考えてます。
ありがちな、感謝しないといけないな、とかそういったものではなくて。
昔は親がどういう存在か、何て考えもしなかったこと。
大学にきて一人暮らしを始めてから、帰省する度に親とは何かという疑問が頭をよぎるようになりました。
親とは、自分の存在に最も大きな影響を与えてきたものです。存在というか、性格とか思考とかそういうもの。
ところが、親と離れて暮らすようになると、自分と親がそれほど近しい存在でないと思うようになりました。親から切り離された、自分というものが形成され始めているからか。
まあ普通の人ならここで遅い反抗期が来るのかな。
子供の頃は、親は完全なもののように写っていました。親が全てでした。絶対の信頼をおいていました。
しかし、だんだんと、親は完全なものでなく、ひとりの人間であるとわかりはじめる。いわゆる「普通の親」を持つ人にとっては誰もが通る道と思います。
しかし、自分が親とは違う、ということを意識するあまり、親の言葉、考えを否定的にとらえるようになってしまいました。
いくら気をつけていても、自分が正しい、という思考は完全には拭えないもの。
正直、今の自分には、親が自分をダメにした、という考えが消せないんです。理不尽な責任転嫁であるとも思いますが、あの頃の、親が全てであった自分に、この道から抜け出すという選択肢はあったでしょうか。
周りの親の七光り達を見ると虚しい気持ちになりますが、所詮不平等な社会であるということも最近は理解できてきました。親やその祖先を含めず、ひとひとりづつを比べるという目線での不平等。
お金だけでなく、性格や遺伝的なもの(自分の場合は色覚異常や精神性多汗ですが)などの不平等
が、自分の祖先の形質や態度に因っている、というのは明らかです。これを活かし自分の子孫にどういった不平等を与えるかも自分次第です。継がれてきた負の遺産に悩むというのは、辛いものです。自分ひとりを見たときに、そこに責任はないんですから。しかも私の場合のような遺伝疾患、あえて疾患と書いたけど、これは自分の子供にも受け継がれていく。さらにそれが軽度なもんですから、自分より辛い人がいる、という事実がさらに苦しめるんですよ。この言葉はなんの救いにもならない。周りを見ろなんて、この辛さがわからないやつのセリフだ。自分にも同じような境遇があるはずなのに。その事象だけを見てものを言うんじゃないよ。その頭はなんのためについてるんだ。
だからって、妥協するしかないんですよね。納得と言うより、妥協。もともと理不尽な世界なんだという妥協。
親のはなしからずいぶん逸れてしまいました。