不安で不安で、
虚しくて切なくて、
どうしようもなくやるせない自分と向き合うのは辛いもの。
全身を襲う恐れの感情に押しつつぶされそうになって、身動きが取れずに心身が硬直して動けない。
無気力で無欲でなにもする動機が湧いてこない。
仮死状態の植物人間、脳死の一歩手前の身体感覚。
生と死の狭間に宙ぶらりんの状態のヒトがいるのに、社会はなにも支援しない。
家族も友達も地域社会も企業も役所も政治家も誰も何もしない。
ただただ、孤独死を待つのは高齢者だけでなく、未成年の子供から、成人しても働けなかったり、学業も趣味もなんの楽しみもなく、生きてる意味とか存在する価値も何もない人生。
存在の否定、生きる理由も価値もない、動機がない、使命だとか、魂だとか、言語化可能な生存のエビデンスなど取るに足らないことではないのか?
Aだから必ずBである、
などとのトートロジカルな
ドグマやドグサの罠。
感情を表す言語、情動神経の語る情念を表す言語。
ヒトが言葉を使って話す、聴く、書く、考えるとき、言語の力をどこまで認知できているのか?
掴む、離す、固定する、排除する、実現させること。
言語化による感情の表出と感情が語りかけてくる動機や欲望としっかり向き合うことこそが、絶望との対話の後で生まれてくる心理の真理だと思う。
ならば、遊覧飛行はこれで終わり。