開かれた言語的体系 | ニクセンライフからのハッピーライフ

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最近、臨床系の心理療法としてオープンダイアローグがもてはやされている。
賛否両論ある。
全く新しい技法であるかの宣伝と批判者の意図はいまは問いたくない。
かつて、栗本慎一郎は、言語の罠についてヴィトゲンシュタインやニーチェを引き合いにして、マイケルポランニー の言語運用を開かれた言語的体系であると示唆した。
そもそも、オープンと冠してダイアローグと称するのは、オープンでないダイアローグ、そこにも至らない逡巡する無限ループのモノローグへの感知があるはずだ。
この、クローズドループのなにがダメなよか?
神経伝達物質の分泌による脳の特定部位の活性化が強調され、情動回路と思考回路が発信して止まらなくなることを指す。
ポリヴェーガル理論もこれを証明するエビデンスを出す役割となっている。
これは、心身をコントロールするする脳内の暴走ないし、フリーズと言える。
開かれた言語的体系とは、もともと人間が持っている螺旋階段的な心身の機能の活動の通時的ダイナミクスである。
機械がフリーズしたり、暴走するのもほぼ同じ原理からくる。
“オープン”もいう開放的な言語イメージとは逆に、フィードバック制御が適切に働くことこそがウェルビーイングにつながる。
ここが理系出身者と文系出身者を分断し、社会を混乱させる閉じた言語的たいけいとしてのオープンダイアローグなる誤った、いや、言語の罠に落ちた幻想を振りまいているとみた。
重要なのは経済破綻同様に、フィードバックループとフィードバックループのゲインコントロールである。
なおかつ、人間は個人の心身内にとどまって生きているわけでわなく、過去とも、みらいとも繋がっている。
それを、オープンループコントロールにするのはヒトラー並みの狂気の沙汰であり、ヴィトゲンシュタインシュタインの限界である閉じた言語的世界観から出ることはできない。
閉じない言語的世界観とは、結語なき関係性の継続性である。
閉じること、ドミナントな安定、安心を希求する脳内その他の身体機関で分泌される神経伝達物質を全体最適化する上でキーになるのは、快、不快の感覚的知覚である。
ポリヴェーガル理論はそこを掘り下げる開かれた言語的世界観を示唆している。
統合失調症もうつや双極性障害、脳の活動の機能的部位の偏在性からくる偏執的な自己愛人格障害、サイコパス、パラノイアのプロファイルも見えてくる。
個体の心身の活動の揺らぎの範囲も、個体間の資質の幅も、その広がりの範囲は、人間存在の生の姿なのだとまず認めることからメンタリティの問題も、現実行動の様々な悩みと向き合う準備ができるだろう。
善悪も、快、不快の感覚も一旦脇に置いて世界と向き合うことは決して容易くはないかもしれないが、もはや、そこから始めるしかないだろう。
その時、この世界の政治経済体制や市場原理主義に偏向した世界観も見えてくるはずだ。
テロリストをカウンセリングできるか?
テロリストと仲良くできるか?
聖者の心にもテロリストは棲んでいまいか?
政治家も、マスコミも、教師も、医師、弁護士、、、国家資格を持っていることが真理、正義、正当な心身の挙動による万人の幸福に貢献する必要十分条件であるといえるのか?
Yesと答えることが閉じた言語的世界観を創り出す。
マルチコンテクストに浮遊し言語の罠に陥らないために開かれた言語運用がある。