昨日は 「いろは札」のお話をさせて頂きました。

「いろは」と云うと テレビや映画の時代劇でおなじみの 
火事場へ向かう町火消が思い出されるかもしれません。


い組 ろ組 は組など  歌舞伎では め組が有名ですね。


この町火消は大江戸の消防隊・・・ 
当時は用水桶を町の至る所においてありましたが、
今と違って 火事そのものに水をかける 消火活動ではありませんでした。


この水は、火消が人を助けに 火の中に入って行く際 
頭からかぶる為に置いてあるのが習わしでした。


消火としては ボヤくらいでしたら この用水桶の水くらいで何とかなったでしょうが
一旦火が出ると 江戸の町全体が木造建築。 
そのために 少々の水をかけたくらいでは 火事は収まりません


周りの家などを壊してさらに燃えるものをなくす事で、
延焼を食い止める 破壊消火が基本でした。

ですから屋根に上がったり 壁を壊したりするのに 鳶職が火消しに雇われたのですね。


だから江戸の町の花形と云えば 町火消だったのですが、
このいろは48組の制度 講談や歌舞伎で有名な 大岡越前守の発案だそうです。


暴れん坊将軍 徳川吉宗の頃に制度化されたものだそうですが 
その以前の元禄赤穂事件あたりの時は、どうなっていたのでしょう?


実は幕府より 選抜を受けて 任命された6万石以下の大名が 
この火消組を作っていたそうです。



そして赤穂藩は、江戸の地を火事から守る 十六組ある大名火消の中の 
ひと組だったのです。

歌舞伎で云う 加賀鳶も同じように「大名火消」と思われますが、
こちらは 加賀百万石。
大名の火消しではございますが、こちらは 大名家の私的な火消という
意味合いの強いものでございました。



江戸庶民からは 町火消同様 赤穂藩はかなりの人気があった火消組だったそうです。



ここからが本題ですが 松の廊下事件の後 赤穂藩はお取り潰しになっております。


現在、『忠臣蔵』のお芝居で見られます赤穂藩 討ち入りの際 
敵味方判別の為の揃いの装束としては、この火消し装束がモチーフです。

もっとも手軽に揃えられ わかりやすい柄模様。

もちろん 装束が同じなのは 討ち入りの際 味方がわかるように、
との工夫もありますが、火消組だったから 揃いの着物もあったのでしょうね。 

(実際の討ち入りの際には こんなに揃った衣装ではないと云いますが)

雪の日の白と黒の揃いの火事装束。 
歌舞伎の上演には これしかない と云いたくなるようないでたちです。
本当に感服いたします。


これを後に 天野屋利兵衛が調達したように 後世に伝えられたのは 
作者の想像力 豊かなところでしょう。

(歌舞伎では天川屋で この天川屋の名前が 討ち入りの時 
 「天」、「川」の合言葉になっております。)


昨日の「いろは札」と「47」。
今日の「いろは町火消」と「火事装束」と赤穂藩の大名火消。

これも、作者の意図したところでしょうか。


全く、現在の推理小説にも匹敵する、いえいえ、それ以上。
なんとも素晴らしい 物語の作り方でしょうか。