木更津編のその2です。
昨日お知らせした、歌舞伎でも有名な「切られ与三郎」のお墓が
木更津駅西口徒歩1分の光明寺というお寺の中にあります。
もちろん与三郎は架空の人物で モデルとなった人物は山武群増穂村の紺屋の次男で
大吉と云うのだそうです。
そして長唄の大夫となり四代目芳村伊三郎を襲名しました。
やがて体の傷跡が 八代目団十郎の目にとまりその来歴を基にして
三世瀬川如皐が狂言に 書き下ろしました。
初演は嘉永六年(1853年)
平成12年10月に歌舞伎座昼の部で上演されたのを記念して
片岡仁左衛門さん(与三郎)と 坂東玉三郎さん(お富)の卒塔婆も建立されています.
モデルとは言え 歌舞伎の縁に近い方はやはり 親しみを持ちます。
今日の写真はそのモデルとなった方のお墓ですが 与三郎の墓となってます。
卒塔婆も8年の歳月が過ぎ 少し色あせておりました。
もう一度 このコンビでの「与話情浮名横櫛」が見たいものです。
ちなみにこの月の夜の部は 猿之助一門で「加賀見山再岩藤」を上演しており
二代目、中老尾上は玉三郎さんが演じておられました。
昨日お知らせした、歌舞伎でも有名な「切られ与三郎」のお墓が
木更津駅西口徒歩1分の光明寺というお寺の中にあります。
もちろん与三郎は架空の人物で モデルとなった人物は山武群増穂村の紺屋の次男で
大吉と云うのだそうです。
そして長唄の大夫となり四代目芳村伊三郎を襲名しました。
やがて体の傷跡が 八代目団十郎の目にとまりその来歴を基にして
三世瀬川如皐が狂言に 書き下ろしました。
初演は嘉永六年(1853年)
平成12年10月に歌舞伎座昼の部で上演されたのを記念して
片岡仁左衛門さん(与三郎)と 坂東玉三郎さん(お富)の卒塔婆も建立されています.
モデルとは言え 歌舞伎の縁に近い方はやはり 親しみを持ちます。
今日の写真はそのモデルとなった方のお墓ですが 与三郎の墓となってます。
卒塔婆も8年の歳月が過ぎ 少し色あせておりました。
もう一度 このコンビでの「与話情浮名横櫛」が見たいものです。
ちなみにこの月の夜の部は 猿之助一門で「加賀見山再岩藤」を上演しており
二代目、中老尾上は玉三郎さんが演じておられました。