今日は不思議な体験をした。

ホテルにチェックインしてから早2ヶ月と少し。日々同じ部屋で同じ景色を見ながら勉強したり仕事したりしていると、もはや"慣れ"を通り越して"飽き"の領域に入ってきている。飾り気のない空間に加え、テンポラリーに滞在しているが故に"部屋をどう工夫して居心地のよいものに変えるか"という発想が持てないことへの諦めが、朝起きて部屋を見まわす度、また外出先から帰ってきて部屋を見る度に胸に去来する。

しかし日々を積み重ねるということは、ただ飽きるという感情以外のものも生み出していたようだ。

いつものハウスキーピング。
「グッモーニングサー」
「ハウアーユーサー」
から始まる彼らとの会話。
何気ない世間話。それは僕にとって何でもないただの会話だった。ただいつも隅々まできれいにしてくれるので、何回かに一回は僅かばかりのチップをあげていた。
僕の部屋はスリランカ人の23歳の出稼ぎ労働者。15,6歳と言われてもわからないくらいのベビーフェイスだが、実は母国に奥さんと子供がいる。月々の給料は1000Dhs(約2万円)で、そのうち900Dhsを送金している嫁孝行者だ(アコモデーションなどは会社でまかなってもらえるそう)。

そして昨日、
「サー、明日の夜はお暇ですか?」
「なんで?」
「もしお暇なら一緒に飲みませんか?僕ら明日このホテルに泊まるんです」
ととても嬉しそうな顔。なんでも、年に一回シーズンオフの時期に会社がそういう権利を与えてくれるそう。
「あんまり時間ないけど、いいよ」
まあ飲みたいけどお金ないから僕を誘うのかな、と思いながらそう返事した。

今日。
夕方電話がかかってきて、「サー僕たちは今935号室にいます。是非来て下さい」
めんどくさいなと思いながら、これからもまだハウスキーピングしてもらうし、スリランカ人と飲む事なんてめったにないから、ものは試しに「わかった行くよ」と言って、彼らの部屋に行く事に。

部屋に言ってみると、よく見るハウスキーパーの顔が3人程いて、「待ってました、サー!」と大歓迎ムード。
仕事を離れ、しかもホテルに泊まれ、お酒も飲めてとても"いい表情"をしている。
話をしていると、なんでも、僕の普段の対応がとても気に入ってくれている見たいで、「サーを尊敬しているんです」なんていう始末。。「UAE人のゲストなんて最低です、一部屋掃除するのに30分もかかるんです、その点あなたの部屋は僅か5分。いつも楽しくお話して下さいますし、あなたみたいなゲストはこのホテルに他にいません」

きくところによると、アラブ人の部屋を掃除しようとすると、ベッドの上に食べ物や飲み物がこぼれ、床にはスナック菓子が散らばって、強盗にあったのかと思 うくらい汚いらしい。スリランカがどういう国かはわからないが、北伝か南伝かの違いはあるものの同じ仏教徒。マナーやモラルという点では理解しあえるらし い。というかどの宗教でも最低限のマナーはあってほしいけど・・・。

確かに僕は、いわゆるアラブ人の横柄な態度は嫌いで、このたった2つ星ホテルで何をそんなに威張ってるの?といつも思っている。因にこのホテルは一泊7000円程度。それに悪い癖で、弱い人には親切に、偉そうな人には反抗的な態度をとってしまう。だから愛想が良くて仕事熱心なハウスキーパーは嫌いじゃないし、部屋をただできれいにしてくれることに感謝もしている。でもまあいくらなんでも僕を持ち上げ過ぎでしょうと内心しらけていた。

長居は禁物なので、仕事があるから一時間くらいで帰るよ、と伝えお酒をごちそうになった。お酒と言えど安いスミノフとコーラだけ。ただ僕のタバコが空になるとすぐに買いに行ってくれたり、どんどんお変わりを勧めてくれる。

こりゃあある程度お金払えってことかなと思ったが、驚く事に、「サー、何を言ってるんですか、お金なんて要りません!サー、今日は僕たちも楽しく飲んでます、だからあなたも楽しく飲んで仕事に行って下さい」なんて言われた。。

なんていうかなー。そういうのって、すごい嬉しい。心が温まる。

彼らの一ヶ月分の給料なんて、僕にしてみれば使おうと思えば一日で使えるくらいの金額。当然僕の部屋を掃除していて、パソコンやらカメラやらiPodやら高価なものを見ているし、なにより2ヶ月以上も泊まっていて「サーはラッキーですね」なんて言われてるのに、おごってくれるなんて。。

彼らの生い立ちやら仕事の苦労話やらきいて、冗談言って笑って、1時間を過ごした。
帰り際、「サー、今日は遅いんですか?もしこれららまた来て下さいね!」だって。

こういうのってなかなか得難いもので、とてもとても不思議な体験。もちろん、悪くない。

ただただ平凡な毎日を積み重ねているつもりでも、そこに存在している以上、知らない間に誰かに何かしらの影響を与えていて、平凡さの中でその"誰か"も色々な感情を積み重ねている。僕にとっては同じ毎日でもその誰かにとっては同じ毎日でない。僕の平凡さの中にある一挙手一投足が誰かにとっては印象に残ったりする。それがどこかで交わると、自分が平凡だと思っていた日々に"意味"のようなものが付加される。心に彩りを与えてくれる。僕は今日彼らのそんな気持ちを知って暖かくなれたし、また彼らにとっても僕と飲んで良かったと思ってくれたはずだ。
僕は本当にラッキーだと思う。

明日からもがんばろう。