八月。

土曜日の作業所での昼食。
「大宮さん、たこ焼きなんかお昼にいいですねー」
正一の言葉にへへと笑いながら、昼食のためだけに作業所にきて広げにきていた。
「みーやん、最近たこ焼き食い歩いてるらしいなぁ。それどこの?」
「これはMT銀行の横の店のやつや」
浅川の声に大宮が返した。
「どこのたこ焼きが上手いんや」
「やっぱり駅の通りを東に行ってちょっとのとこやな。ネギいっぱいやわあそこは」
「今日はいけへんかってんや」
頷きながら、あそこは混むからと言って、たこ焼きをぱくりと入れ、
熱いという顔を我慢しながらの表情を見せて食べる。
「食いおさめかな」
大宮はうつむき小声で言った。
正一はえ?っと聞き返したが反応しなかった。
昼食後、大宮が浅川と出てゆき石河と二人になった正一。
「大宮さん、田舎帰られるんですよ」
石河は正一に教えた。
「えぇ?帰られるんですかー」
大宮の故郷は三重県の松阪市という。
故郷の両親が営んでいる農家を手伝ってくれないかと言われていた。
大宮は父親が年老いて動けなくなる前に、
あとをついでやらねばと考えていたらしい。
体調も安定してきたところで、時期をみていた。
「病院とかどうするんでしょうね」
「まぁちょっと離れるかも知れませんけど、向こうで探せますよ。
大宮さん、前に比べたらかなり、タフになってはりますから」
三重県にもいい精神科の病院があればいいと心配していた。
「仕事も体力いるんやろうなー」
「村山さん、あまり心配せんでいいんですよ」
石河と話し終えて休憩室に入ったら大宮がいた。
正一はさっそく声をかける。
「大宮さん、田舎帰られるそうですね」
「え?」
「あの、石河さんから聞きました」
「あぁ村山くん、聞いてくれてたんや」
「三重県の方らしいですね」
「そやねん、身体も大丈夫みたいやし、田舎でボチボチやるわ」
正一は大宮・浅川と仲良くなってきてこれからというときの名残惜しさをこらえて言う。
「そうですかー。ちょっと残念ですけど、頑張ってくださいね。かなり町から離れるんですか?」
「そやな、田んぼばっかりや、田舎やで」
「そうなんですか。大阪にはあまりこれなくなりますね」
「大阪には恩あるし、またくることあるやろう。松阪にも来てーや。みんなでな」
大宮は窓の外の、車の激しく通るのを眺めながら、
「田舎にはいろいろ迷惑かけたからなぁ」


大宮は今まで言ってなかった自分の過去を話しはじめた。
発症が自分でも分からなかった頃である。
高校卒業後、農作業の手伝いをしながら、隣近所の視線や、噂話が気になってしまって、
何もしないようになった。
そして、親兄弟や隣近所の人たちを疑いだし暴言や暴力をふるい出した。
「普通の仕事しよか、親のあと継ごうかと考えてて悩んでたんもあって、
じっとしてたら誰かの声が聞こえてきてなぁ。なんで俺の事知ってるねんいうてもうて…」
暴れて勢いが止まらなくなった大宮は、近隣の農家の作業員に囲まれて、
とりおさえられて病院に担ぎこまれ、即入院となった。
退院しても、噂の拡がった農家の家には帰られなくなり大阪にきた。
「大阪に来て、仕事やってはったんですか」
「仕送りしてもらったんや。バイトちょっとやったろう思ってしたけど、
病院通ってるのがバレてな。調子も悪なるし、どっちみち続かんかった」
「こっちでも大変やったんですねー」
「せやけど、やっと帰る決心が着いたわ。社適も考えてんけどなぁ」
と大宮は迷っていたようだ。


正一が作業所に来るようになったその年である。
大宮の年二回の帰省の時に家族の声が変わっていた。
「博史、そろそろ頑張れるような顔になってきたな。どや、やらへんか」
と諦めかけてた母親が言ったのであった。
浅川が話しの最中に入ってきた。
彼を見るなり声をかけた。
「浅川さんは知ってはったんですか」
顔を見ると知らなさそうである。
「大宮さんが三重の田舎に帰られる事です」
「えぇ?みーやん、どういうことやねん」
浅川は驚いた。
本当なら彼が最初に三重に帰る事を聞いているはずだ。
浅川は聞いていなかった。
「あぁ、調子もようなったし俺、田舎帰るわ」
「ちょっと待てや、みーやん。俺らとずっと一緒におろうや」
大宮は首を横に振った。
正一と石河は黙って見ていた。
「ごめん。ずっと一緒には居られへん、
このまま馴れ合いでいてたらオレらダメになるって」
「なんでや、えーやないかぁ」
「このまま作業所のお世話になるのは、人生もったいないと思ったんや。
生活保護で社会にいつまでも迷惑かけとうない」
「なんでや、ええやないか。そんなん税金や、なんぼでもつこたったらええねんて。
あんなしょうもない政治家の為に気を使うことないって」
話しに入ってきた石河は二人の声を聞きながら、
「大宮さんの決めた道です」
と浅川に言った。
作業所にこれ以上いるのは、大宮にとってもプラスにならないと説明した。
少し落ち着いた様子を見た正一。
「大宮さんを送る会をしましょうよ」
浅川に言った。
「そやなぁ、最後の夜をカラオケ会にしようか」
「そうですね、大宮さんを送るのにふさわしいですね。朝まで歌いましょうよ、彩子も呼びますよ」
「そりゃええわ。可愛いあやちゃんの声が聞ける」
大宮は喜んだ。


作業所の終了時刻を待ち、すぐに彩子の元『ふんわり』に行った。
「今日衝撃的な事聞いたわ」
彩子はグラスを正一の前にだしながら
「どしたの?」
と訊いた。
「大宮さん、田舎帰るんやって」
彩子も驚いた。
正一はこの夏の終わりだと詳しく話した。
「急な話しだね」
「大宮さんは前から考えていたらしいねん」
「浅川さんが淋しがるね」
「今日は浅川さん、えらい叫んでたなぁ」
二人は仲良かったのよと彩子は説明する。
「いつも一緒だったなぁ」


離婚してしばらくしても、まだなお傷冷めやらぬ彩子が入所した頃は、
大宮が居て浅川はまだ入所していなかった。
浅川は彩子が入ったふた月後に入所してきた。
彼は彩子と同期といえる。
大宮は持ち前ののほほんとした雰囲気で、新しく入った彩子にもあたりがやさしかった。
彩子は何かと大宮を信頼しながら、作業所に慣れていった。
浅川は彩子に一方的に好意を抱きはじめながら、大宮と親しくしているのを見ていた。
何度かのその感情の葛藤の末、自然に三人で一緒に居る機会が長くなる中で、
大宮には恋愛感情のない事を浅川が知ると安心し、彼の事を理解して更に仲良くなった。
しかし、浅川は彩子に思いを告げたかったが、彩子の過去を知り、
友人関係を越える事はできなかった。
後で入った大口が、微妙な恋愛関係を持つ友人として付き合っていた。
そんな中で、彩子は適当な距離を持ちながら、四人の中で、上手くやってきていた。
「みた目は大宮さんより浅川さんの方が強気に見えるけどね」
浅川は大宮より二つ年上であるが、大宮が気兼ねなくいろんな事をいえるのは、
浅川の気の若さと、大宮特有ののほほんとした雰囲気に浅川が気を許してしまったからだ。
彩子は大口と付き合っていた頃に、何度とか四人でカラオケに行っていた。
「よくカラオケで二人はデュエットしてたよなー」
「え?男同士で」
彩子は勘違いする正一に、

男性デュオいるじゃんと歌手の名前を二・三グループあげて納得させた。
「いつもお昼に買ってきたたこ焼きや焼きそばを、
一人ずつで食べずに二人で一つのお皿をつつき合ってたのよ」
説明する彩子に正一は笑った。
浅川が使った後の
コップを大宮が使うとか、
大宮が吸った後のタバコをもう一度火を付けて吸う浅川。
温厚でのんびり屋な大宮にどこか攻撃的で鋭敏な浅川。
二人は対称的だ。
一見強そうに見える浅川も、実は神経質でもろく、打ち込まれると弱い。
大宮は口数少なく、要領も良いほうではないが、一旦決めると動かない頑固者である。
互いに無いものを補いあい、もたれ合ってきた。
彩子から過去の二人の話しを聞いていろいろと心配する。
そんな正一と彩子だ。
「大宮さんは、自分で決意して田舎に帰ると決めたからな、多少は割り切れるやろうな」
正一はそんな大宮を心で讃えた。