(2022/04/13 記)

  

年度末に3日ほどの計画有給休暇をとりました。担当している現在の業務は、

期末、年度末に特に多忙度が噴出する性格のものではなく、去年春の年度初に

予定申請していたものです。

ただ間が悪く、家内が実家に3回目の武漢肺炎ワクチン接種を終えて2週間経過

した義母さんのお世話に帰りましたので、特に何かレジャーに出向けた訳では

ありませんでした。

 

そのうちの1日、2022/03/30 (水)、久々に暖かく視界も春霞が少ない感じだった

ので、昼前からベランダでミニグランピングごっこをしました。 

 

寒くなる直前、久々に暖かかった11月初めに駆け込み実施した日以来のことです。

 

  

   

  

  

全景の右端にあたる方向をHX99 の720mm 望遠端で撮りました。

PL教団の塔が見えていました。

 

  

そのまま、左方向へ徐々に視野を動かして行きますと、あべのハルカスが見えました。

 

  

少し大きく左に動かして、大阪梅田中心の西側あたり、梅田スカイビルなどが

見えます。

 

 

さらに左。京橋あたりです。  

 

  

棚を整理して(TV番組録画をバックアップしたブルーレイが増えすぎて、モノが

これ以上収納出来ない状態です)いたら、もう忘れていた詩集が出て来ました。

(過去記事にも出したW.B.イエイツ研究本を除く)

   

  

若い頃に自身の作曲作品をカセットテープで聴いて貰った誰かから「作風が似てる

かも。参考になれば。」と勧められたものだった、と思います。

でも私自身は全く似ていると思えず、すぐに収納の奥に突っ込んだままになっていた

のでしょう。特に作詞能力が作曲能力より早く枯渇した現在の私は、何かの取っ掛

かりを得られないかと、最近の弟のところに治療に行く往復中にそんなものを目を

通そうか、と思って取り出して来たのでした。

 

しかし、今回、改めてそれらに目を通しても共感する箇所はありませんでした。

W.B.イエイツ研究本に出て来る短いフレーズ引用でも充分伝わって来る「香り」

に近い何か、そんなものが全く感じられないのでした。

 

田村隆一氏。そもそも、これは詩なのでしょうか。

エッセイのようにふと思ったことを理屈っぽく綴る。推察は我田引水で勿論、科学

的なアプローチではなく、ただ直感。何かを説明したい文章のようで....。

私に文学の才能がないということなのか。

 

そもそも表意言語の日本語で、表音言語の詩作の響きを追うことは無理なのだ

と私は「日本語の詩作」自体を若い時から懐疑的に感じていました。

 

  

西脇順三郎氏。何故これを私の歌詞に似ているとその誰かに思われたのか。

私が一旦は参考にしようと考えて、書籍を複数購入したのだから、勧めてくれた相手

には当時の私より文学的な体験または学歴など一目置くところがあったのかも

しれません。

 

更に「表意言語の日本語で表音言語の詩作の真似は無理」を感じずにおれません。

この種の「詩作」には、当時の国内に普及していない外来語や地名や概念語に

感嘆符などをつけると、「つかみはオッケー」的な感じがあちこちにある、と

当時から感じていました。

(「おお。汝!ウパニシャッドよ!」みたいな。意味不明ですが。)

 

   

廣瀬裕子氏のフォトポエム。これは誰かに勧められたのではなく、自身の作詞が

どう頑張っても流行している歌の歌詞のようには近づかない、ということに当時は

「商品価値を高めるなら改善すべき」と盲目に考えていた2002年ごろに書店で

購入したものだったと思います。

 

映像と詩作、という形態にも興味があったのでしょう。私自身の作品も音響から

映像を想起させ、それを補完する位置づけで歌詞が後付けで出て来るもの

でしたので。

 

  

でもやっぱり参考になりませんでした。

そもそも国内の似非フォーク音楽(米国のカントリー・フォーク音楽にはアレルギー

は一切ありません。形だけ似せた偽物が嫌いなのです)のように「想いを伝える

手段としての歌」みたいな考え方が気持ち悪いと思う私なので。

そんなものが街中に溢れていた1970-80 年代には、その種の音響から耳を

塞いで逃げ回っていた印象があります。

 

私にとって地獄の20年間でしたが、この10年ほど「フォークが今新しい」とか

特にNHKが必死であの時代を呼び戻そうとしているのには辟易します。

あの当時の駆け出しが、今やNHKや邦楽界の上層に成りあがっているから

なのでしょう。「なぜこんな素晴らしい音楽があの時代のように王道として

もてはやされないのか全く理解できない」といった体なのでしょうか。

心底反吐が出ます。

 

そういう生乾きなものは、絵画や文学など他の芸術では無いものだと思う

のでした。生の想いや体験から一段昇華させたものが作品であろうと。

内に秘める思いは秘めておくのがよいし、感謝は言葉で伝え、ふしに乗せて

茶化すものではない、そんな気持ちが昔からずっとあります。

 

ただこれを契機に「何も自身の個性や感性を矯正する必要はない。それをして

しまえば、ささやかな存在価値までを失い、何かのイミテーションに成り下がる」と

考えのベクトルを元に戻した経緯はありました。

人とどうしても似ない、それは存在価値であり、欠点ではないと思い直したの

でした。

 

そのことを除いて、これらの「詩作」と私にはやはり接点はありませんでした。

やはり別格と思えるイエイツ解説本を残して、近々処分しようと思います。

文学的な感覚が無いからだ、と言わば言え、という心境です。

  

そのように決断したからと言って、楽曲に添えるべく作詞をする能力が枯渇して

しまった現在の私に、何か改善や示唆があった訳ではありません。

  

ふー....。

 

 

夜には透明度がさらに上がって来ました。

 

  

PLの塔はもう見えませんので、あべのハルカスあたりから、昼と同じようなあたりを

撮ってみました。

 

  

  

FEP FIVE の赤い観覧車も見えます。

 

  

見事な放物線を描いて4機体が順次着陸態勢に入り、1機体が離陸上昇しています。

 

 

  

途中、目新しいランドマークが無いので、全景左端にある千里駅前の大きな2棟の

高層ビルまで飛ばしました。(実際は昼も夜もなめるように小刻みに構図を動かして

撮っています。)

 

  

今まで気づかなかったのですが、こっちが万博記念公園の観覧車ですかね...。

 

  

では、今までこれがそうだと思っていたほうの観覧車はどこのものでしょう...。

確かに千里の高層ビルとの距離感でいえば、もっと遠くにありそうです。

 

  

これら2画像の背景に複数の赤い光が空中に浮いてます。何でしょう。

光学的なゴーストにしては、その原因となる強い光源が見えません。

暗くて解像していない鉄塔があって、その識別灯でしょうか。山の中腹にそれらが

あるなら分かりますが、その高さに山があったかどうか...。

 

今回はシャープネスなどを強めるなど画像の後処理でをしていません。

バッチ処理で一括して画像サイズをブログ公開用に縮小しただけです。

なので、やや軟調な仕上がりになったかとは思います。

いくらでもカリカリな硬調に仕上げることは可能ですが、HX99 の生の実力を

見るには、このままでも悪くないかと考えました。

 

あと、折角用意したインターバルタイマー付リモートレリーズですが、夜景

撮影の長秒露出では却ってブレの原因になることが分かりました。

太いケーブルがしなやかでないので、コントローラ部を持つ手の揺れが

HX99 に伝わってしまうのです。

特に露出時間と同じだけ内部ノイズリダクション処理にかかる時間中の振動が

良く無さそうです。

なので、今回は途中から2秒セルフタイマーで、シャッターショックの影響を

軽減することにしました。

 

三脚をしっかりした金属製のものにすれば、やや改善もするとは思いますが、

リモートレリーズが逆に夜景撮影にマイナスとなれば、今年はきっと開催される

大阪平野じゅうの花火大会をベランダから撮影するには、やや心配材料です。

折角の720mm 望遠を活かせなくなってしまいますし、セルフタイマーが2秒でも

花火が相手だと、きっとベストの瞬間からは出遅れるでしょうから。

α-NEX でもレリーズは使うので事情は同じ筈ですが、筐体が軽いという便利さ

が、却ってマイナス材料となっているのかもしれません。

 

この日は夕方から寒気が北から流れ込んで来たようで、気温が急速に落ち

ましたので、夜景を見ながらベランダで食事するのはやめました。

 

それではあんまりミニグランピングっぽくないですが、まあこれから機会はある

でしょう。

 

 

 

ご覧いただきありがとうございます。