コロナ騒動という間抜け 外出禁止は社会を崩壊させる | ロンドンで怠惰な生活を送りながら日本を思ふ 「東京編」

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ロンドン・東京そしてNYといつの間にかいろんなところを転々とそしてまた東京に。海外なんて全く興味なかったし今もないという予想外の人生でした。今は東京に戻りしばらくお休みしていましたが少しずつ再開してみようかと思ってます。よろしくお願いします

先日は外出禁止/自粛のデメリットを経済の面から話した。(コロナ騒動という間抜け 外出自粛には害しかない)

 

いやそうはいっても経済面は政府が一時的に補助すればよいという意見もあるかもしれない。経済がそんなに大事なのか!?という意見もあるだろう。たしかにそうかもしれない。

 

だが、先日こんな記事も出ていた。

 

外出制限措置で家庭内暴力が深刻化 世界の死者の約7割が集中する欧州で 新型コロナ

 

容易に想像される結果である。家にいることが増えることで精神病やアルコール中毒なども増えるだろう。当然家族の関係がぎくしゃくして家庭内暴力や虐待が増えるだろう。その結果は自殺の増加につながることはほぼ間違いない。

 

コロナで死ぬのは大半はご老人である。だが上記で死ぬのは社会を支えている生産年齢人口やこれから希望に満ち溢れた人生を送るであろう若者たちだ。

 

死んだり精神病に至らないにしても運動不足に起因する生活習慣病の増加の可能性は高いだろう。現役世代や若者の寿命を縮める事につながることは間違いないだろう。

 

いや一番生命のリスクが高い高齢者の方々だってずっと家にいれば精神病、認知症、アルコール中毒、運動不足などによる死亡のリスクを高めることになることはほぼ間違いない。

 

コロナで死ぬのも怖いだろう。だがコロナによる死を恐れるあまり外出禁止によって将来的な死のリスクを高めてしまっている現状がここにはあるということも我々はよくわからないといけないだろう。人間は生きるために生きているのではない。人間が何のために生きているのか?という重大なテーマに我々は直面しているのである。生きるためにただ生きるのか。それとも仮に死のリスクがあっても人間らしく幸福を求めるために生きているのか。もちろん本当にコロナが数週間の自粛で過ぎ去ってしまうのならそのような問いは生じない。だが現実は違う。一時的な自粛で終わるという想定はもはや成り立たないのだ。自粛を叫ぶ人たちはもっと深く物事を考えるべきだろう。

 

医療関係者の方々には頭が上がらない。感謝しかない。だが専門家の提言は所詮医療の観点である。そこには経済/社会と死のトレードオフ。人間は生きるために生きているのか?という問いは含まれていない。

 

そのことを我々も政治家ももっと真剣に考えるべきだろう。