「成金が…」、「成り上がり者が…」とは貧しい家の生まれから財を成した人に対してよく使われる罵詈雑言のたぐいである。何をもって成り上がり者とするかは人それぞれだろうが、歴史上で言えば豊臣秀吉は正真正銘にして日本の歴史上最大の成り上がり者だが、三河の田舎侍から将軍となった徳川家康を成り上がり者といえるかどうかは人によって感じるところは違うだろう。
以前から書いてきたが情報が極端に乏しい時代には相手の出自がその人がどの程度信用できどの程度の能力があるかの一つの重要なファクターになった。それは現代社会ではより多くの人により平等な機会が与えられることで「出自」の重要性が薄れ、「学歴」や「資格」などが人間の信用度や能力を図るうえでより重要なシグナリング機能を果たすようになったということだろう。
ところで、Marginal Revolutionに(Economist誌経由)このような論文が紹介してあった。
Maybe less than you thought, at least after adjusting for other variables. The Economist reports:
In Sweden the age of criminal responsibility is 15, so Mr Sariaslan tracked his subjects from the dates of their 15th birthdays onwards, for an average of three-and-a-half years. He found, to no one’s surprise, that teenagers who had grown up in families whose earnings were among the bottom fifth were seven times more likely to be convicted of violent crimes, and twice as likely to be convicted of drug offences, as those whose family incomes were in the top fifth.
What did surprise him was that when he looked at families which had started poor and got richer, the younger children—those born into relative affluence—were just as likely to misbehave when they were teenagers as their elder siblings had been. Family income was not, per se, the determining factor
誰もが予測するようにスウェーデンでの研究では家計の所得が5階層のうちで5位に属する家族で育った子供の犯罪率はトップの7倍多かった。だが、驚くべきことは当初貧しかったが豊かになった家族で育ったうちのより豊かになった期間に生まれた年少の兄弟であっても年長の子供たちと同じくらいに犯罪を起こしていることが分かった。
ということらしい。
代々受け継がれていく家や家族に身についてしまった習慣や考え方はなかなか変わらないということだろうか。また、もちろん、それ以上に遺伝という問題があるのは間違いない。
一方で核家族化が進行し子供の教育も親はもちろん大事だがそれ以上に学校やそこで出会う友人に影響される現代ではこういった要素の影響も実は徐々に減っているのかもしれない。
「成り上がり者」とは何かという定義も必要だとは思うが、そこまで込み入って話をする場でもないからそれはしないでおこうと思う。「成り上がり者が…」というのは既得権益者や成功者をねたむ人間の罵詈雑言であったことは間違いないが、一方で情報が少ない時代にはそういった「出自」は「人となり」を知るための貴重な情報出会ったことは間違いないし上記の研究にもあるようにそれは現代でも一定程度有効だということだろう。
だが、「成り上がり者」が数多く出てくる社会はより多くの人に機会が与えられている社会であり活力の証かつ源でもあった(ある)はずだ。いや、「はずだ」などと考える必要はなく、社会経済が発展し様々な面で競争が激しくなれば合理性の面から「出自」を問わず多くの人にチャンスが与えられるようになってきた。いつの時代もそういった面はあっただろうが、戦国時代などはその典型だし江戸時代でも下級武士や商人の子供などでも才覚があれば困窮する武士の養子になったりしていたし、明治以降に至っては学歴・学問を基準にかなり多くの人に成功のための門戸が開かれたといえるだろう。
市場は常に完璧でないし人間の人の能力を見抜く力には限界があるので「出自」に基づいたシグナリングは決して今も昔もなくならないだろうが、そういったものをできるだけ取り除いた能力重視の人材の登用が日本という国が欧米列強に並んで発展できた理由であることはおそらく間違いない。(自虐的な人たちに言わせれば日本は差別だらけの国ということになってしまうが…)
そういえば、朝日新聞はリベラルの顔をして某政治家の出自をとらえて攻撃をするという卑劣な行為をしていた裏で格差の拡大と固定化に対する危惧を述べ、低所得者層に金をばらまくことをよしとしているのだから本当に支離滅裂も甚だしいなあと改めて思ったりもするわけである。