8月15日は終戦記念日である。言うまでもないか…。今年はNYにいるのでいつものように靖国神社に参拝することもかなわない。
ベタな表現になるが、当時の状況を思い小説・ドラマ・映画などを見るためにどこまでも心が痛む。いつも言うように命を賭けても守らないといけないものがある。そしてそれは人の価値観によりさまざまだろう。そして当時の状況を考えれば戦争は避けられなかったのかもしれないが、なぜあのような愚かな戦争を負けることが明白になった後も続けたのか。
そして、現代においても同じような愚かな争いは続いている。ウクライナ・イスラエル・イラク…。相変わらず紛争は耐えることがない。そして軍人のみならず罪のない一般人までが命を奪われていく。
一方で先進国では人の命は格段に高いものになった。そりゃ当たり前で、現代の先進国の人間が稼ぐ生涯賃金は数十年・数百年前に比べてはるかに高い。当然、政府はそのような人間が命を失った場合に保障せねばならないから戦争のコストは依然得比べても格段に高い。もちろん、先進国を中心に人間の意識が変わったこともあるだろうし、寿命が延びたことや病気や犯罪によって死ぬ確率が格段に減ったことによって命の価値が高まった(あるいは人間が人の死を忌避する気持ちが高まった)ということもあるだろう。
おそらく数百年前の人々は生きていても面白くないと感じることが多かったのではないだろうか。現代ほど満足に食べることもおいしいものを食べることもできなかっただろう。病気をして完治しないまま苦しみながら生き続けていたかもしれない。現代ほど娯楽もなかったから時間を持て余していたことだろう。
そういう状況ならば、命を何か大きなこと・あるいは家族や故郷のためにささげてもよいという気持ちは豊かになりすぎた現代人よりも強かったのだろう。
そして、同じようなことが現代の新興国や後進国の人にも言えるかもしれないし、大東亜戦争当時の人々にも少なからず当てはまるのだろうと思う。
だから、現代の先進国の人間と同じ価値観で人の死を語ってはいけないかもしれない。
また、もし新興国や後進国のそのような状況を少しでも改善したいと思うのならばさらなる彼らの経済発展を促すような政策を先進国も行うべきだ。援助もそうだが、自由貿易や人の移動の促進をさらに進めるべきだろう。豊かになればなるほど人間の価値は上がる。情報が行き渡ればわたるほどに少なくとも愚かな政府や愚かな戦争のために命を失うことのばからしさを悟る人が増えるだろう。(もちろん、それでも命に代えて何かを守らないといけないときはあるはずだが)
先進国では格差の拡大が続いている。が、世界規模で見れば新興国・後進国は経済発展を続けている。そして世界規模では格差は縮小している。愚かな戦争や紛争で命をなくす人が少しでも減るようにこの流れを止めてはいけないと思う。