無縁社会というのが流行ってるんだって?いろんなブログで目にした。情報遅いなあ。。。と反省しながら・・・。
たしかに、日本というのは、ある意味で無縁社会のように思える。東京なんてそうだろう。
個人的に思うことを書いてみたい。
無縁社会というのは僕は基本的には多くの人が望んだ結果であるように思える。
街中で肩が触れ合ってもあまり「すみません」とも言わないわけだ。東京では近所づきあいなんてものもあまりないように思える。みんなが他の人とかかわるのを意図的に避けているように思える。
一方で、ロンドンはどうだろう?
体が触れたりしたら、すぐに「sorry」と言うし、隣や下のマンションの人とのつながりがまったくないわけじゃない。積極的に絡めば仲良くなることもありそうだ。電車の中で変なことをしている人がいれば、みんな目を合わせてなんだあれは?という感じになって会話をし始める人もいる。
僕はロンドンに最初に来たときにここは田舎くさいなあと思ったりもしたもんだ。人間(知らない人同士)のふれあいがあるなあとも思った。
話がそれた。
僕は田舎出身だが、僕の親とかは明らかに地域の集まりなどを嫌がっていた。また、僕の親の世代のほかの人たちもそういったものをできる限り縮小しようという風に動いていたように思える。東京などの大都市ならずとも田舎でも従来の有縁(すぎる)社会を嫌がり、無縁社会(より無縁な社会)を望んでいた人はたくさんいたわけだ。
そもそも、大都会というのはどこの国でも田舎よりは無縁社会に違いない。もちろん、職がそこにしかないというのもあるだろうし理由はさまざまだろうが、多くの人が地縁や血縁からの自由を求め、大都市に移住してきたという面も強いだろう。
初めて東京で1人暮らしをしたときにやっと自由になれたとワクワクした人たちは多いはずだ。
また過去においては過度に有縁社会であった田舎からはじき出された人々を受け入れることによって都市は成長したのかもしれない。ちょうど、オランダが犯罪者や亡命者の受け入れを寛容に行って成長したように。
それから日本は「有縁社会」だったという人が多いが、イタリアとか南欧も結構血縁関係とかを大事にすると聞く。そのあたりはいつもどおり日本だけがというのはおかしいのかもしれない。
一方で、無縁社会は政府の過剰福祉が生んだ面があることも忘れてはならないだろう。政府がなんでもかんでも面倒をみますというから、地縁や血縁に頼る必要がなくなる。困れば政府に頼ればいいとなる。「子育ては社会でするものです。」とかいって“金を国が与えればいい”という人が首相であったくらいなんだから、仕方ないのかもしれない。その結果は当然、無縁社会に行き着く。
そんなこと言っても本当に身寄りがない人もいる!という人もいるかもしれない。
だが、江戸時代には、1人で生活ができず身寄りがない人にはやくざが仕事を探してきて与えたという。政府が何かをしなくても、身寄りがない人を保護する組織は(それは貧困ビジネスでもあるのだが・・・)生まれるものなのかもしれない。
とにかく、無縁社会とはそれを望んだ多くの人々(もちろん、望んでいなかったがあおりを受けた人がいるのも事実だろうが・・・)とそれに乗っかって票を取るために社会福祉を充実させてきた政府に原因があると思う。
この流れをとめたければどうすればいいのだろうか?個人的に思うことは
①政府による過剰な福祉をやめることでの自然な形での地域社会の復活。ボランティアなどがその福祉の足りない部分を埋めるようにしていく
②地域社会やボランティアへの貢献が評価され行われやすいような社会を作る。
そのことは多くの人に職場以外の居場所を作ることにもなる。まずは労働市場の流動化などを進めることが大事だろう。それから、欧州やイギリスにあるように地方議員などを実際に職業を持ちながら行うようにしてしまうのもそういった風土を作っていくためのひとつのアイディアになるかもしれない。
といったあたりか。地道に社会というものを再構築していくしかないだろう。これに対して政府がさらに金を出して保護しなさいというのであれば、無縁社会の傾向はますます強まると僕は思っている。
しかし、ネットとかのコミュニケーションツールも発達している。そんなに無縁社会って問題なのかなあと思ったりもする。
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