なぜエリートは間違えるのか? | ロンドンで怠惰な生活を送りながら日本を思ふ 「東京編」

ロンドンで怠惰な生活を送りながら日本を思ふ 「東京編」

ロンドン・東京そしてNYといつの間にかいろんなところを転々とそしてまた東京に。海外なんて全く興味なかったし今もないという予想外の人生でした。今は東京に戻りしばらくお休みしていましたが少しずつ再開してみようかと思ってます。よろしくお願いします


今回の福島第一原発の事故。東電の経営陣は学歴も高くエリート。原子力保安院や安全委員会の人々もテレビに出てしゃべっていた原子力関係の学者たちも。そして、菅直人首相も東工大だから「一応」エリートといえる。


しかし、津波や地震に対する備え。その後の対応。今後検証がされねばならないが、決して褒められたものではないだろう。とはいえ、彼らはやはりエリートであることは間違いない。そして、揶揄ではなく、実際に頭がよくて優秀で、しかも組織の上のほうに上り詰めたのだから何かしらの人間的魅力ももっていることは言うまでもない。


それでも、間違えた。それはある意味必然といえるのだが、ではなぜエリートは間違えるのだろうか?


このブログが4つの理由を述べている。

http://stumblingandmumbling.typepad.com/stumbling_and_mumbling/2010/12/how-intelligence-fails.html

How intelligence fails


1自信過剰

2ほかの人よりも知性があるからといって複雑なある問題を解決するのに十分な知性があるということにはならない

3チェスの専門家はチェスのことしかわからないようにある物事の専門家が幅広い分野のことがわかるわけではない

4授かり効果 と自分の専門の見地から考えてしまうという間違い


としている。


もし、菅直人首相が本当に「オレは原子力にものすごく詳しい」と本気で思ってたとしたらすべてに当てはまりそうな・・・・。


話をもう少し一般化しよう。


たしかに、世のエリート(知識人?)の中には最初はいいこと言っていたのになあという人は多い。

だんだん自信過剰になってカゲキなことを言い出す人。自分の専門外のことに手を出しておかしなことを言い出し始める人なんてのは多い。


もちろん、専門外の人の意見を聞くことは非常に大事だろうが、基本的には「餅は餅屋」であり、その道の専門家の意見が正しいほうがたいていだろう。そう考えたら世のコンサルタントなんていうのは本当に怪しげな集団だというのがわかる

 

野村監督が「オレみたいなのは阪神には向かない。阪神には星野みたいなのがいい」と著書で述べていたが、同じ専門家でも向き不向きもあるということだろう。


そして、これは僕がなぜ「小さな政府」を支持するかにも当てはまる。中央政府が物事を指図するよりもより現場に近い地方政府の人間が物事を決めるほうが現実に即した解決策をえられると考えるからだ。


また政府がマーケットに介入して指図するよりも、マーケット参加者(すなわち、その道のプロ=企業自身/マーケットとは金融市場のみならずあらゆる市場のこと)のほうが物事を理屈の上のみならず肌で感じるものとしてきっちりわかっているはずだ。それに、市場や人間の社会で起きていることは非常に複雑すぎて、読み解くのは不可能に近い。いくら数学の問題を解くのが得意な天才でも通用しないことのほうが多いだおろう。


そう考えるならば、政府に(多くを)期待するのなんてさっさとやめてしまえばいいのにと思ったりもする。


そういえば、外部取締役が大切だ!なんて日経新聞なんかはいまだに言ってるみたいだけど、そんなのもやめればいいのに。まず大前提として強制されるものではないし、こういう風に考えたらその実効性は??だろう。


今回の事故はその経緯がまだまだ検証されねばならないから、安易に言うことはできない。しかし、菅があほだ。東電はあほだ。だから、悪かったのだというのではあまり意味がない。「エリートは優秀ではあるが必然的に間違える」ということを認識することが必要だと僕は思う。


↓ツイッターやっています。


Twitterボタン
Twitterブログパーツ


↓二つのブログランキングに参加しています。応援してもらえると幸いです。(クリックしていただくだけで結構です)

にほんブログ村 経済ブログへ
にほ んブログ村




人気ブログランキングへ