こんにちはニコニコ

 

最近、

 

「本当は今の仕事は好きではない。」

「やりたいことがわからない。」

「自分でする自信がない。」

「お金のために今の仕事をしているが、他にやりたいことがある。」

「やりたいことをする一歩がふみだせない。」

「子供がいるからできない。」

「お金がないからできない。」

「色んな準備が整ったらやる。」

「将来が不安。」

 

といった話をよく聞きます。

 

そんな時、私たちの話をよくさせていただきます。

 

なので、もう知っている方もいらっしゃると思いますが・・・

 

 

改めて、私たちが「アーユルヴェディックサロンえんがわ」

をオープンするまでのアレコレをブログに書かせていただくことで、

上記のような想いを持っている方々の不安を取り除き、

一歩を踏み出す勇気をもっていただけるきっかけになればと

思い、数回に渡って「えんがわ物語」と題して書かせていただこうと

思います。

 

包み隠さず、丸裸にします!!自分たちを自ら(笑)

 

 

興味ない方はスルーしてくださいグッ

 

めちゃくちゃ、個人的なことなんで!

自分たちが楽しいから書いてるところも正直あります爆  笑

 

 

でも、何事も「知る」ということは大切で、

どこにヒントが落ちているかわからないもの!

興味のない方も、ちらっと覗いてみるのもいいかもしれませんねグラサン

 

 

では、「えんがわ物語」

はじまり、はじまり~拍手

 

 

 

 

よしのり、さとこ、たろうの3人家族。

 

よしのり、現在54歳。

 

さとこ、現在35歳。

 

たろう、現在3歳。

 

 

そうです。

夫婦の年の差は19歳!!

 

 

 

だいたい、

 

「違和感ない。」

 

と言われます。

 

私としては、複雑な心境・・・ガーン

 

ま、夫がかなり若く見られるのでしょうがない。

 

 

 

ちなみに、夫は初婚です。

 

 

夫と出会ったのは、

2013年12月。

 

結婚したのは、

2014年7月。

 

出会って、約半年で結婚しました。

 

 

私が生まれた時、19歳だった夫。

(夫の親族や友人からは犯罪だと言われています笑い泣き

 

 

二人とも生まれ育ったのは高知市ですが、

年齢が違いすぎるので、それまで出会うこともなく(たぶん)

全く違う人生を歩んできました。

 

 

では、どうして私たちはセラピストになり、出逢い、

サロンをオープンするまでに至ったのか・・・

 

 

まずは、よしのりの過去から探っていきたいと思います筋肉

 

 

 

高知市針木で生まれる。

さすが、写真が昔(笑)

 

4人兄弟のどうでもいい3男坊。(自称。)

写真真ん中の男の子。

 

みんな半パン(笑)

 

石井家は、お父さんが身体が弱かった為、子供たちには強く育ってほしいという想いから、

小学校まで冬でも、半袖(この写真は長袖着てるけど)半パンで靴下なし!!

 

同級生のお母さんが見かねてセーターを着せてくれたことも(笑)

 

 

でも、このスパルタモットーのおかげか、身体は強い筋肉

 

 

 

「自分のほしいものは自分で稼いで買う」

というお兄さんが決めたルールにより、

小学生から新聞配達をして、お小遣い稼ぎ。

たっくまし〜びっくり

 

 

 

 

朝倉中学校に入学。

 

近所のお兄さんに誘われ、ハンドボール部に。

 

先輩が卒業すると、ハンドボール部はよしのり一人に。

 

そこで、よしのりはスカウトしまくった!!炎

 

で、寄せ集めのチームができた。

 

時同じくして、すごい先生が来たアップ

ハンドボール専門で、国体まで行ってる先生。

 

その先生に、猛アタックDASH!DASH!DASH!

 

でも、寄せ集めのチームなんで、先生は顧問になることを嫌がった(笑)

そこ、燃えないんだ真顔

 

けど、諦めずに懇願して、ついに顧問になってくれたそうですよ。

 

 

その当時、ハンドボール部があるのは、朝倉中と土佐中だけ。

いつも土佐中にコテンパンにやられ、

ついに、よしのりが卒業するまでに朝倉中が勝つことはなかった。

残念だったね~。

 

それが悔しかったよしのりは、ハンドボールが強かった追手前高校を選んだ。

それで追手前行けるのが、すごいわガーン

 

 

その後、よしのりが誘った後輩以降、朝倉中のハンドボール部は強くなっていったそうです。

 

めでたし、めでたし。

 

 

 

 

追手前高校入学。

 

 

高校時代はハンドボールに明け暮れる。

 

県大会は毎回優勝。

インターハイも全て出場。

選抜も出場。

 

でも、全国にいくと、コテンパンにやられ、箸にも棒にもかからないことがよくわかった。

 

悟ったよしのりは、もう辞めたかったが、仲間にとめられ、一応最後までいたそうです。

 

 

3年生になり、受験のため部活が終わると、ヒマになったよしのり。

ヒマになったからといって、勉強はせず…

 

 

当時美術部の顧問だった「片木太郎」先生に誘われ、数名と共に美術部に入部。

 

『海の門3(安芸)』1995年=片木太郎作

片木太郎先生は洋画家でもあり、現在没後20年の作品展がかるぽーとで開かれています。

7月21日まで。よかったら観に行ってみてください。

 

 

↑懐かしき美術部

 

 

その時、校内の銀杏を拾い集め、先生達や料亭に売って資金を得て、

今も追手前高校に残る「巨きい足」というモニュメントをつくる。

コレ↓

 

当時高校生の商売を、よくぞ校長先生が寛大に認めてくれたな〜。

校長先生も銀杏買ってくれたらしい。

 

 

周りもよく我慢してくれたな〜と思います。

 

学校中のバケツを集め、そこに水と銀杏を入れて腐らせる。

 

そのバケツを美術室と、自分のクラスの教室の後ろに並べて置いておいたそうです。

 

銀杏の匂いわかりますよね?

腐らせているからすごい臭い滝汗

片木先生やクラスメイトからも大ブーイング(笑)

そりゃそうだ汗

 

ちなみに、銀杏の皮をむく作業は壮絶だったようで…

 

全身に湿疹が出て、かゆいのなんのチーン

男性の大事なところも腫れたとか(笑)

みんな腫れてたことが、後に同窓会で発覚(笑)

 

 

この時、銀杏集めの中心になっていたのが、よしのり含めて3人。

 

「銀杏3人組」

 

と呼ばれていた

 

なんか、かっこいいやん。

 

 

後に、一人は写真家であり、小水力発電の会社の社長に。

もう一人は銅像作家になり、桂浜の龍馬像の修復もされたようです。

 

ここで、写真家の方を少しご紹介。

 

古谷 桂信 

 

1965年、高知県生まれ。関西学院大学卒業。フォト・ジャーナリスト。

大学在学中から中米グアテマラのマヤの人々の取材・撮影を続ける。

国内では水環境をテーマに、琵琶湖博物館の撮影などを手掛ける。

また、大学在学中から身体障害者療護施設「はんしん自立の家」「はりま自立の家」にて、

障害をもつ人たちへ写真撮影を指導し続けている。

「日本ラテンアメリカ協力ネットワーク」(略称レコム)代表。

 

 

「どうしてもダムなんですか?」

「トウモロコシの心 マヤの人々とともに」

 

という本も出しています。アマゾンで購入可能。

 

ちょ〜熱い方です。

全国に小水力発電をつくっていっています。

 

 

ちなみに、トウモロコシ〜の本に、銀杏3人組のことが書かれているそうです。

 

 

 

 

とにかく、はちゃめちゃだけど、こういう経験て死ぬまで心に残っているんだろうな〜。

そして、素晴らしい仲間との出会いは一生の宝ですねキラキラ

 

 

こんなハチャメチヤ高校生活を経て…進学校なのに、進学せずに、

 

 

海上自衛隊入隊チョキ

 

 

これも、ハチャメチャ笑い泣き

 

 

次回は、海上自衛隊時代からのお話で~す。