湧き上がったのは、非日常への憧れと、ほんのちょっとの不安だった。
そう、変わり映えしない生活にスパイスきかせてもいい…
今まで病気ひとつせずやってきたのだから、カメラが体内に取り込まれたところで何とかなるでしょう。
それより、このカメラ、自分の意思で動かせるのかな…?
意識的に、ゆっくり瞬きをすると、
また「パシャり」と音がした。
すごい!
最近のものは良く出来ている、噛んで壊しても機能は生きているなんて…
感心しながら、書斎を出て、ワクワクしながら庭の木々や花々を体内カメラで撮ってまわった。
撮った画像はどうやって後から見るのか?
その疑問と同時に、目の奥でフォルダが開いて、写真が展開されていく感覚がした。
すごいすごい!
ここまで来ると、体内カメラを自分の意思で動かせることは間違いない。
今まで持ったことのあるカメラは説明書を読んでもわからないし、使わなくなってホコリをかぶってしまった。
遊び疲れたので休憩をとる。水を飲もうとコップを覗くと、自分が映っていた。
目を見てハッとし、恐れが生まれた。
取れない。
体内至るところに取り込まれているのだから。
だが、CTスキャンなど不要になるのでは?
体の不調の理由など一発で見抜けるだろう。
このまま、カメラ人間になるのも悪くない。。。
そう思っていた。この時までは。
つづく。