慰霊碑 | 釜石【鉄と魚の都(まち)】を深~く味わう虎の巻
2019-03-11 23:54:00

慰霊碑

テーマ:釜石はまげね
まるで涙雨のような大雨の釜石でした。
震災から八年がたちました。

あの日、いつものように子供達を学校へ送り出し、午前中は浜に行き、昼過ぎ、部活が終わった息子を高校へ迎えに行き、「新しくできた道路通ってみようよ」と大渡から旧道を通って女遊部にでて三陸道を通り片岸から両石へ帰って来ました。
翌日、三陸道を歩いて女遊部へ行くことになるとも思わずに。
その後、地震がおこり、飛び出して行った息子からを追いかけ高台へと逃げました。
澤口パンの前で潮が竜巻のように上がるのを見ていたら、二階の自宅にいた澤口パンの社長さんが「防波堤が壊れた!津波がここまで来るぞ!逃げろ!」と叫んだので、慌てて、デジカメを持って出てきたおじいさんや、なにがあったの?と家から出てきたおばあさん達を追い立てながらさらに上へと逃げました。
振り返ると坂道を二階建ての家が登って来るのが見えました。
坂を登って来る二階建ての家の前、旦那の叔母が「もういい。もう歩けない」と立ち止まっていたので、駆け戻り、「ここまで来て何言ってるの!」と無理矢理引きずって坂を上がりしました。
後から、姑と旦那にこっぴどく怒られたのは心外でした。
津波てんでんこ。
それでも、目の前に助けられる命があるなら助けたいと思う。


両石の外れ嵩上げ地の端、ぽつんと白い碑が建っています。


東日本大震災で犠牲になられた方の慰霊碑です。
国道からも見えます。

碑文によると、震災当時両石町には260戸があり、震災により高台にあった16戸が残ったそうです。
自衛隊ヘリから災害対策本部への一報は、『両石地区家屋なし』だったそうです。
津波の威力の凄さがわかります。


鎮魂の鐘なのでしようね。


今でも後悔している。
逃げる時、隣近所に声をかけなかったのか。
逃げる途中、家の中から顔を出した人に一緒に行きましょうといえなかったのか。

15時16分、ニ波目の津波が恋の峠まで到達し、両石の町を飲み込んだ時間。
あえてこの時間に黙祷します。

東日本大震災の犠牲になった皆様のご冥福をお祈り致します。

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