5章は津村喬さんの本に寄せられた解説でしたが、これは内容が豊富だと感じました。酒井さんは、1980年代に大学でノンセクトの活動家だったそうで、1968年に象徴される大衆運動について、他人事じゃなくて我が事として語っている感じがしました。

 

1968年には大学にいなかったわけなので、1968年周辺で起きたことは、普通に考えるなら、伝聞をもとに推測するしかないのですが、運動の余波はまだ残っていたので、それを酒井さんも直接経験していて、1968年を理解するヒントが、他の人の意見をあさって探さなくても、自分の中に見当たるというところが特異で、それがゆえに、論考が豊かな内容になっているのかもしれません。

 

僕は何も知らないので、1960年と1970年の違いもわからないし、1968年に世界中で同じような現象が起きたことの意味もよくわかりません。1968年の世界同時現象については、伝聞をもとに推測して、第二次大戦の被害体験がまだ生々しいうちに、冷戦が開始されたことに対して、怒る人たちがいた、ということかなと考えていました。

 

しかし酒井さんの話を聞いていると、1968年は以前と以降を分ける断絶の年であって、そのための準備は早くから始まっていたし、それ以降の余波も長く続いている、という理解のようでした。

 

1968年の以前と以降で何が変わったのかは、いろいろと語られているために、簡単に言うことはできない気がしますが、一旦獲得された認識が、その後、妨害によって、単純な無理解によって、忘却されている可能性が示唆されていました。

 

1968年に、全共闘の運動によって、あるいはノンセクト・ラディカルの運動によって、日本社会は何かを得た、しかしそれは多くの人によって忘却された、ということなら、失われつつあるものを、再び思い出す必要があるかもしれません。

 

酒井さんは、自分のことを実際よりも高く位置付けて人に自慢したりするような人ではありません。謙虚です。しかもその謙虚さも自分自身の長所であるとか、苦労して勝ち取ったものだとか言って自慢することがありません。ただ自分の周りでも似た人が多かったし、それが普通だったと言っています。

 

この高潔な精神のようなものが、全共闘運動の特徴のひとつらしいです。それを聞くと、全共闘運動を代弁したり、短くまとめて紹介している人は、最も質の悪い人たちだったのかもしれないと思いました。

 

高潔であること、倫理的であることは、見る人にさわやかな印象を与えたり、尊敬の念を抱かせるだけでなくて、運動する上で、自分の道を誤らないためにも必要です。

 

権力が民衆を抑圧し搾取する時に、党派が(セクトが)民衆の側に立って民衆をかばって運動をします。しかしこのセクトが、常に民衆にとって味方であるとは限らず、運動を守るため、運動を進めるために、民衆に余計なことをするなと規制を入れてくる存在でもあります。ひどい時には、権力と左派の党派が結託して、民衆を食い物にしているようにも見えます。

 

そういう時に、ノンセクト(無党派)の運動が要請されます。しかし気を付けて、身の処し方を考えないと、セクトの間違いを正すつもりが、自分たちもセクトと同じ存在になってしまう怖れがあります。

 

セクトの人間が偉そうに民衆に指図するのを嫌って運動を始めたつもりが、気が付くと自分も同じことをしていた、ということは、ありそうな話です。しかし酒井さんは、周囲の人から、そうならないように注意するための知恵をたくさん受け取ったということのようです。

 

僕が他の人から聞いてイメージしていたところでは、不可能な問いを抱き、どうにかして答えを得ようと、自分に問いかけたり、民衆との共生を試みたりと、さまざまに模索して、結局求める答えにたどりつかなかった人たち、ということかなと思っていました。

 

実際には、実践的アイデアに到達した人がさまざまに存在していたのかもしれません。

 

最近では、政治運動の中で、革命志向の人はあまりいなくなり、選挙運動に取り組む人がほとんどですが、組織をバックにして偉そうに指図する人がいるみたいです。

 

また権力を持つ組織が、民衆を執拗に抑圧することも起きています。

 

1968年頃に実践から学び取られたアイデアやスタイルが、次の世代や次の次の世代に継承されていなくて、またどうしたらいいか、現場で一から学ばないといけない状態になっているのかもしれません。

 

1968年に学び取られたことは、まず、セクトの害を取り除くような運動のスタイルであり運動体の形であったようです。そして、具体的な課題から入っても根本の問題を問い直すようなラディカリズムだったようです。

 

その根本のところにあるのは、人間が自由であるために何が必要か、という考えのような気がしました。そして反対に、制度化ということを過剰とも思えるほど警戒しています。

 

制度化とは、人間をルーティーン・ワークに絡めとり、人間から自由を剥奪する傾向のことを指すようです。社会生活を円滑にするために、ルールを決めて、みんなでそれを守るようにするのは普通のことですが、行き過ぎが起こると、逸脱を一切許さなくなり、そもそも逸脱しようと思う発想を人間から取り除くことが企画されます。そして経済生活もかつかつにして生きられなくすることも考えられますし、反対にそこそこ楽しい生活をさせて、目の前のことしか考えられなくすることもありえます。

 

制度化への怖れは、潔癖症すぎるような気がするし、制度化への抗いのために暴動を対置しようとするところがあって物騒な感じがしますが、国家制度を使って人間をがんじがらめにする傾向は、今進行している出来事ですから、具体的な対処法はともかく、警戒する態度には、見習うべきものがあることは確かでしょう。

 

抵抗運動を組織する側から発想している人が、あまり考えていないことは、体制側に位置する人たちも、もうちょっとしっかりすることが可能じゃないかということだと思います。

 

数が少ないので、反体制側にいるよりも、苦労が多いかもしれません。犠牲になって自死する方がいらっしゃいます。命までは賭けないでも、体制側にいても、出来る限り頑張れる人は生み出せるし、助力して力づけることはできるんじゃないでしょうか。

 

酒井さんの話を聞いていると、少し前までは、日本にも一般の人の中に高潔な精神を持っている人が少なからずいただろうことが、イメージできる気がしました。

 

そんな人が少なくさせられていることも、人間を抑圧する権力機構の発展のたまものなのかもしれません。

 

それはある意味、向こう側の勢力が頑張っているせいでしょうから、こちら側も頑張るしかない、ということを意味しているような気がします。

 

 

1968年以外では、1848年と1871年が重要なようです。1848年はフランスの二月革命で、革命運動に社会主義者が入ってきた時期だということです。1871年は普仏戦争の後の混乱があり、パリ・コミューンが成立しました。