僕はエックスをあまり見ていないんですが、ピックアップした情報をまとめてメールとして送ってくれる仕組みがあり、それは見ています。

 

どういう基準でピックアップされているのかよくわからないですが、最近、米山隆一さんがエックス上で文句を言ってくる人に対して反論している様子が、継続的に流れてきます。なぜその流れを僕に知らせてくれるのかよくわかりませんが。室井佑月さんがフェミニストと喧嘩している時も、その様子が伝えられてきました。

 

見ていて僕が思うことは、米山さんは何か間違っているような気がするけど、何がどう間違っているのか、僕の力では説明することができない、ということです。

 

基本的に、米山さんが言っていることは、マクロ経済学の基礎や、実際の統計データをもとにして議論しないと、議論にならないよ、ということみたいです。

 

実際の統計データは、マクロ経済学の理論を裏付けているので、その基礎に立って話をしようとしても、思い込みが激しい人は実際のデータを無視して、思い込みで語るので、話にならないということみたいです。

 

三橋貴明さんについてもコメントがあり、財務省に説明を求めたら丁寧に教えてくれるだろうのに、なぜ財務省に説明を求めないんだろう、個人的に確執が何かあったんですか、みたいなコメントでした。

 

財政の実務に関わっている人は、運営上の細かい事情を知っていて、部外者の想像では及ばないところを把握していて、説明できるということは、実際にありそうです。

 

しかしザイム真理教という名前をつけて、警戒している人は、財務省の中には、国民の側に立たずに省益の確保に走っている人がいて、自分たちに都合のいい説明をする人がいると考えているのだと思います。こちらの考えにも一理ある気がします。

 

僕としては、国民の貧困化に歯止めをかけて、状況を良くするために動き出している人に、資金的な裏付けを与えることができれば、手段は何でもいい、という立場に立ちたいと思っています。

 

本当は、全てにおいて理に適った理解をし、理に適った行動を選びたいところではありますが、全てにおいて何が正しいのか確定するほどの知識が僕にはないので、手段の選択は賢い人に任せて、結果として欲しいものだけを要求する形にしているわけです。

 

米山さんについては、国民が貧困化しているのだから格差是正のためにお金を出してくれ、と言っても、データではそうなっていないから必要ないと言いそうなので困るわけです。

 

本当にそうかどうかわかりませんが、米山さんは、貧しさを訴える人や苦しさを訴える人の話を聞いて、自分の身を切られるように辛いと感じるかというと、そうでもないような気がするし、また自分の意見がナンバーワンのように感じられる人じゃないかという疑いを持ってしまいます。尊大なんじゃないかということですね。

 

医学と法学だけじゃなくて、経済学まで習得しているわけですから、自分は相当な理解を持っていると考えても不思議じゃないですが、傲慢とまでは行かなくても、謙虚ではない感じを与えます。

 

人の痛みがわかることと、謙虚であることは、人間を間違いから救うように働く要素だと思います。

 

論理的思考だけでも、正しさに導くことは、可能性としてはありえますが、論理的思考だけで進んで、不運にして落とし穴にはまった時に、人の痛みがわかる心と謙虚さが、自らの誤りに気が付くきっかけを作ってくれることがあるのだと思います。

 

そして、そんな自らの誤りに気が付かせてくれる要素をあまり持っていない人は、間違いやすく、あまり信用できないとも言えると思うのです。

 

三橋さんも尊大な感じがしますし、礼儀正しい姿勢は表面的なものに感じられますが、他の立場の人の考えにも耳を傾けようとしている部分はあって、その傾向が、自らを間違いから救う要素となっているという気がします。