「ヒデイチ」を探して
「ヒデイチ」を探して2
「ヒデイチ」を探して3
のつづきです。



朝の4時近くまで
語り明かした次の日

あぶと
ヒデイチさんのお店がある
小屋まで行くと

私たちに
ほかほかの朝ごはんが
用意してありました。

 

ヒデイチさんのところで食べた朝ごはん


ヒデイチさんの畑で採れた
サフランを使ったサフランライス。

かぶの味噌汁。
昨日の残りだ、と言っていたけんちん汁。
シソの実のお醤油ずけ。
山椒の花のお醤油ずけ。

そして
ヒデイチさんの農場で
放し飼いをしているニワトリの
産みたてたまごを
出してくださいました。

「たまごかけご飯ごちそうする」

って。

本当においしかった。



一宿一飯の恩義、とは
よく言うけれど

ヒデイチさんの気持ちが
ただ、ただ、うれしくありがたく
胸がいっぱいになりながら
朝ごはんをただきました。

思ったな。

もくもくと食べる。

見て、匂いを感じて
食感を感じて、味を感じて食べる。

その尊さを忘れてたな、って。

ごちそうさまの時
合掌せずにはいられませんでした。



朝ごはんが済むと

そぼ降る雨の中
ヒデイチさんに案内され
私たちは山道を行きました。

長靴を貸してもらって。

 

山道を行くヒデイチさんとあぶ


栃木県那須烏山市志鳥に
(旧・那須郡南那須町志鳥)
今もなおひっそりと
建っているという「ローラの家」。

NHKで放送され有名になった
「大草原の小さな家」
ご存知の方も多いはず。

その作者
ローラ・インガルス・ワイルダーさんの
アメリカ、ウィスコンシンの
ペピンにある生家
(アメリカではちょっとした名所なんです)

ヒデイチさんが
その家を模して建てた
日本のローラの家目指して。



ちょっとドキドキ…



あった!
ローラの家!

 

ローラの家


ヒデイチさんと仲間達
そして、リチャードが建てた家。

中も当時のままです。

 

ローラの家の中

 

ローラの家の中

写真:あぶ

私とあぶが
リチャードに連れられて
実際に見てきた
ウィスコンシン、ペピンにある
本物のローラの家とおんなじ。

リチャードと一緒に
ローラの家を見た時のことが
鮮明に思い出され
会話までが思い出され

目の奥がじゅわぁん…

ヒデイチさんの想いや
この家を建てる時
リチャードが
ここにいたことを思うと

なおのこと。



その家の前には
こんな看板が。

 

ローラ・インガルス・ワイルダーについての記述


ワイルダーさんについてのことが
書いてあるんです。

その中に
このような記述があります。

Mrs.Wilder began her writing career when she was sixty-five.
ワイルダー女史が
作家として執筆を始めたのは
彼女が65歳の時でした。


これが
ヒデイチさんが
ローラの家を建てた理由の
ひとつであろうと思います。

もちろん

「大草原の小さな家」に
感銘を受けたことも
あると思います。

ウィスコンシンで過ごした日々
アメリカでの暮らし
そうした中での大切な思い
それを形に…ということも
あると思います。

そして何より
著者のワイルダー女史が
65歳から執筆を始めた

いうことを知って

ヒデイチさんは
思ったそうです。

「何かやってうまくいかなくても
   あきらめちゃいけない。


  俺も65歳からだって
  やれば何かできる。


   まだまだだ、って」

当時40歳にさしかかる
頃だったでしょう。

それをずっと
心の支えとして

また、人生いつでも現役
その気持ちを大切にして

やっていらしたようです。

 

ヒデイチさん


「大草原の小さな家」の
著者の生き方に感銘を受け
その生家と同じ家を
自分の農場に立てたのは

「夢は叶えるんだ」

そう言っていた
ヒデイチさん自身

自分を奮い立たせるための
灯台みたいなものだったのかも…

勝手にそんなことを
思いました。

私の憶測だけど(笑)



まだ会って2日目で
詳しい話は聞けず

この家を建てるに当たって
ヒデイチさんとリチャードが
どんな話をしたのか
私にはわかりません。

ただ

ふたりの農夫の間に
深い絆があったことは
想像にたやすいこと。


ヒデイチさんの想いに
手を貸すために
わざわざアメリカから
家を建てる手伝いに日本に来て
1ヶ月滞在したのでしょう。



ヒデイチさんは言いました。

「ノーベル賞を取ったような人は
 みんな言うんだよ。
 30年も、40年も研究して
 やっとそれが形になったって。

 俺がサフランを育てて
 30年も40年も経ってない。
 だからこれから。

 みんなさ、65歳っていうと
 年金もらって何もしない人も多いだろ?
 だけどさ、そっからなんだよ。

 ローラ・インガルスが
 65歳であの話書いたって知って
 俺もね、65歳からスタートだって思ったの」


ヒデイチさんは
はっきり年齢を
言いませんでしたが

話からすると
おそらく65歳くらい。



サフランの栽培
その商品化
そして、福祉農業

ヒデイチさんは
自分にとって大切なものを
これからさらに
形にしようとしています。


そして
そのために

酪農しか学んでこなかった
自分がまだわからない
野菜などの栽培を学ぶために
他の農場で1年間
研修をしてきた
というのです。



でね。

ヒデイチさんは
この時、その研修から
帰ってきたばかりだったの。

「今来てもらったよかった。
 もし先月とか来てもらってたら
 俺、いなかったんだよ」


「じゃあ、私たちが
 アメリカから帰ってきて
 すぐにヒデイチさんを
 探しに来たら…」


「そう、会えなかったよ」

初めてヒデイチさんを訪れた時
目に飛び込んできたあの言葉が
思い出されました。

 

ヒデイチさんの名言


「人は一生のうち逢うべき人には必ず逢える
 しかも一瞬早すぎず、一瞬遅すぎない時に」


 出典:Inquiry

 

 


早くリチャードの友達を
探しに行かなきゃ…

そう思いながらも
なんだか後回しになって
8月に帰国したのに
11月になってしまった私たち。

ヒデイチさんを気にかけて
報告を待っているであろう
リチャードを思うと
胸が痛んだりもしました。

そして、それさえも
実はベストなタイミングだった。

私たちとヒデイチさんが
出会ったのは

一瞬早すぎず

一瞬遅すぎない時

だったのです。



すべてが用意されていたと
思いたくなります。

いざなわれていたのだと。



実は
栃木に行った日
私ね、熱があったんです。

でも、熱があると言ったら
あぶは私を心配して
またにしようと言うと
わかっていました。

ヒデイチさんのところに
行くと決めていた2日間

スケジュールが詰まっていて
他にずらすことができません。

熱があることを内緒にして
私は茨城を出ました。

喉は腫れて痛み
熱の悪寒でゾクゾクし
頭はクラクラし

つらかったんだけど
なにがなんでも
今日行くしかない…
そう思ったんです。


そして
行って正解でした。

からだのつらさよりも
満ち足りた気持ちが強くて
シャンとしていられました。

そして、帰ったら
バタンキュー(死語・笑)。



ヒデイチさんが言ってたっけ。

「そうだよ。
 そう言えばディックが

 (リチャードのニックネーム)
 言ってたよ。

 成田空港から帰る時
 現金なくて困ってたら
 お金渡してくれた
 女の子がいたって。

 俺、それ聞いてさ
 日本人も捨てたもんじゃないって
 思ったんだよな。

 そうか、恵美さんだったのか」




26年前
このローラの家が建つために
ヒデイチさんとリチャードが
栃木にいました。

そして
リチャードが
栃木から北海道を回り
成田空港から帰る時
そこに私がいました。

当時
私とヒデイチさんは
お互いの存在を
知りもしませんでしたが

リチャード・リトナーという
ひとりのアメリカの農夫の
人生の物語の中に
一緒に存在していました。

 

リチャード

写真:あぶ


リチャードとヒデイチさん
リチャードと私

それぞれの人生が交差し
お互いを大切に思い

そして、人生の流れの中で
その大切な人とのつながりが
切れてしまい

3人が3人、胸を痛め。



月日が流れ
奇跡のように私に舞い込んだ
リチャードの息子さんからの
Facebookメッセージ。

Hi, Are you the Emi that gave my father, R.L, $25
 at Narita (Tokyo) airport back in 1989?


(1989年、成田国際空港で
 僕の父、R.L.に25ドルを渡したEmiさんですか?)


その時から
別々だった3人の人生が
ひとつの流れになるように

まるで何かが私たちを
突き動かしているかのように

出来事が起こっていきました。

自分の意思で動いたことも
いざなわれた上でのこと。

そして、26年の時を経て
3つの人生が合流したのです。



リチャード、ヒデイチさん

それぞれの生き様、在り方が
私に見せてくれることは
あまりにも大きく
うまく言葉にすることはできません。

ただ、この出来事は
神様からの贈り物だということ
それだけはわかります。


彼らとの出会い
私の人生の宝物です。

この時に
あぶと娘アンナぽが
いてくれたことも
本当に大きなことでした。

5つの人生が
合流したとも思っています。



これからこのお話が
どんなふうに流れていくかは
私にもわかりません。

私は彼らから受け取った
目に見えない贈り物をたずさえて
自分の人生を生きていきます。

4話に渡る
「ヒデイチ」探してシリーズ
読んでくださって
本当にありがとうございます。

いったん
ここで終わりますが
それぞれの人生は
続いていきます。

リチャード、ヒデイチさん
ふたりとのお話を
このつづきを

またいつか
書ける日が来るといいな。



最後に。

一見ドラマチックな
出来事ってものは


「きっかけ」

であって
すぐに終わるもの。

大切なのは
そこで受け取るものであって
そこから始まる何かなのだと
心から思うのです。

 

ヒデイチさん

写真:あぶ

 


【あとがき】

たくさんの反響をいただいている

「おじいちゃんと私」シリーズ
そのスピンオフとも言える
「ヒデイチを探して」シリーズ

読んでくださったみなさん
本当に、本当に、本当に
心からありがとうございます。



私がいつも伝えたいこと。

Life is beautifu ー人生は美しいー

生きているといろいろあります。
本当にいろいろあります。

時には人生は美しいだなんて
これっぽっちも思えない日もあります。

それでも私は
やっぱり人生は美しい
そう思います。



私たちは
生きるしかないんです。

生きることでしか
つかめないことがあるんです。

生きる道のりのあちこちに
神様は贈り物を

ちりばめてくださっています。
それを拾いながら行くんです。


そうしたらある日
バラバラだったパズルのピースが
突然ひとつになったように
見えてくるものがあります。

必ずあります。

その日のために
生きるしかないんです。

私はすべての人に
その日が訪れることを
知っています。

 

 

 

Special Thanks:あぶ(大関学)

 

 

 

 

 

 

 

音譜奇跡のコース無料メールクラス
   詳しくはこちらから

 

音譜 エイミーくじ、ひいてみる? ぽち、はこちら

 

エイミーのいろいろ

 

メールマガジン
 
点 エイミー通信 → 詳しくはこちら
点 先行案内専用メルマガ → 詳しくはこちら