子供の頃、

魔法使いサリー、
魔女っ子メグ、
そんな魔法使いのアニメを見て、

自分も魔法使いだったらいいのに、
そう思っていた。

裏のお寺で拾った木の枝で、
ひとりこっそり、

「えいっ」

と、魔法の杖を振る仕草をした。

もしかしたら、
魔法が使えるかもしれない、
真剣にそう思っていた。



大人になって、
さすがにそんな考えもなくなり、
木の枝を魔法の杖に見立てて、
振ることもなくなった。



少し前のこと。

雨の日に滑って転んで、
膝をすりむいた。

久しぶりのケガだった。
すりむいた当日は結構痛んで、
歩くのも
ぴょこたんぴょこたんしていた。

数日経つと、
傷口もだんだん治ってくる。

それを見て、ふと、思った。

「不思議…」

だってさ、
皮膚がすりむけて、
肉がむき出しになっているのに、
そこにまた皮膚が再生してくる。
元に戻る。

もし、紙をびりっとやぶいたら、
のりやセロテーブで
つなぐことはできても、
自然に元に戻ることはない。

もし、布をはさみで切ったら、
縫い合わせることはできても、
自然に元に戻ることはない。

でも、体は元に戻る。

これって魔法だ、そう思った。

「痛いの、痛いの、飛んでけ~」

だってそうだ。
本当に楽になる。



子供の頃、
魔法が使えたら
どんなにいいだろう、
そう思っていた。

でも、癒えていく傷口を見て、
魔法はもうすでに
使っていたんだと思った。

マンガや映画のように、
何かを思い通りにする
魔法じゃないけど、

生きるために必要な
魔法は与えられていた。

私達は、
何かをコントロールする魔法は
使えない。

けれど、自分が神様から与えられた、
実在するものを
生きるために必要な魔法は、
生まれた時から
与えられてるんじゃないか、
そう思った。

だから、
神様が実際に
作らなかったものには、
魔法は効かないのだ。

神様が作らなかったものは、
この世界には存在していない。
私達が存在していると
信じているだけで。

神様が作らなかったものって?
の話は長くなるので
ここでは省くけど、

私達の大概がいらないと
思ってるものみんな。



私はたまたま
「魔法」という言葉を使ったけど、

あんまり
的確じゃないかもしれない。
「奇跡」と呼んでも
いいのかもしれない。

奇跡は愛の表現。
癒しでもあったり。
思わず心があったかくなって、
にっこりしてしまうことだったり。

あるんだよねぇ、そういうの。