旧大乗院庭園 | emitandyのお城、古墳・歴史大好きブログ

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歴史好きで寺社仏閣、行き先々で発見してはブログにup中。

記念日には「奈良ホテル」を利用することが

多いのですが、すぐ隣にある

「旧大乗院庭園」には行ったことがなく、

今回食後に入ってみました。







庭園の入口の前に花が咲いていました、





奈良ホテルから出て

下を見渡すとこんな感じの提案です。


食事したばかりだし、

少し歩いた方が良いかなと

思って行ってきました。




後からわかったのですが、

奈良ホテルの駐車場からも入れます。


わからずに、奈良ホテルを一回出て

向かい側の入り口まで回って入りました。






簡単な案内板もあります。


大乗院は寛治元年(1087)に創建され、

明治維新まで続いた興福寺の門跡寺院。

治承4年(1180年)の平家の焼討ちで焼失氏、

元興寺別院禅定院の現在地に移った。

その後室町時代に門跡尋尊大僧正の命により、

完正6年(1465)銀閣寺庭園を造った作庭の

名手善阿弥が改造。

将軍足利義政も訪れ、南都髄一の名園と

称えられた。

昭和33年国の名勝に指定。

15年の復元整備を経て平成22年から

一般公開されている




1人200円です。


この奈良ホテルのみなみごわに隣接して

「名勝 旧大乗院庭園」が2017年より

園路の一般公開を開始されたようです。




大乗院は寛治元年(1078)、

隆禅(藤原政兼の子)が創建。

その後、藤原師実の子・尋範が継承したことから

摂関家特に九条家系の勢力が強かったのがわかります。


藤原師実は道長の孫の子だから曾孫になるのかな。


元々は現在の県庁と地方裁判所(一乗院)との

中間にあったようですが、治承4年(1180)の

平重衡による興福寺・東大寺とともに焼討ちされ、

現在の地に移転したそうです。

元々は元興寺の禅定院という寺があったのですが、

この寺をそのまま

利用して大乗院とされたとのことです。


大乗院はここに移ってから、堂塔も整い、

丈六堂・天竺堂・八角多宝塔・釈迦堂

(現在の奈良ホテルの位置にあった)


下方の平坦地には園池を控えて住生活に

必要な寝殿・雑舎など数々の建物があったが、

宝徳3年(1451)の徳政一揆による元興寺

から出火し、大乗院の堂塔もほとんど

消失してしまったとのことです。

翌年から一条兼良の子息で22歳だった

門跡・尋尊大僧正が復興に努めました。


一条兼良はやはり上の☝️の藤原師実まで遡れますね



また、寛正6年(1465)からは

将軍足利義政の命を受けて、作庭の名手・善阿弥

による大乗院の作庭が始まり、文明3年(1471)まで

断続的に行われた善阿弥による作庭は、

子の小四郎に引き継がれながら

長亨3年(1489)には最終的に建物・庭園を

含めた伽藍整備が完了しました。

この頃には、公家たちがしばしば訪れて

庭景を楽しんだとされていたそうです。


奈良国立博物館に移築されている

八窓庵(含翠亭)👇




☝️昨年の正倉院展の帰りに寄りました。
正倉院展のチケットがあれば無料で入れたのですが、
まさか今回、これがそうだったとは。


近代以降の発掘調査について
(パンフレットより)


パンフレットより











中島へ渡る橋も渡ってきました。