我が家の主、鯉に夢中。

 

朝から、寝るまで、

こいの話し。

 

 

メダカの話し。

 

 

ふーんと聞いているが、

 

カウンセリングの勉強、

傾聴の練習と思って聴いているので、

話がとめどなく、長い、長い。

 

 心の中で、(おまえ小学生かぁ)と思うのを、

打ち消して、相づちの練習をしている。

 

夫婦二人なのに、ずっとしやべっているから賑やか。

 

私は修行中。

 

おかげさまです。

 私は、もっぱら

 

花に癒されています。

今回の「文サロ」の」エッセイの課題図書は

「結果を出し続ける人が夜やること」だ。

 

 

 メリハリがない私にとって、夜は昼の延長でしかない。

そして宵っ張りという自己認識である。

 「ただいま」と家に帰ってからも、

頭の中は仕事のことや、今日あった出来の

再現テロップが回り続けて、今ここにいない。

 

「結果を出し続ける人が夜やること」を読んで

エッセイを書くのは最初、気が重かった。

 

パラパラとめくって閉じ、他の仕事をするうち

またたく間に時間は過ぎていく。

 

 私自身「アドラーに救われた女性たち」の本を

4月17日に出したが、コロナの真っ只中で

本屋の棚に並ぶことはなく、

寂しい思いをしていたときだった。

 

コロナだから仕方ないと自分に、云い聞かせ

何とか紛らわせていたので結果という

言葉に反応してしまった。

 

二度目に手にとって読みながらも、

結果を出し続けるというフレーズにひっかかっていた。

私の結果は、何なのか?本を出すことか?

 

と思いながら読み進めていくと、

最初に読んだときとは違う引きこまれるものがあった。

後藤先生のひたむきな、

ぴゅうあな力を感じたのだ。

 

 後藤先生は、人が好きだということ、

素直に興味を持った方に会いに行くことや

会う前に事前にその人のことを調べる、

一週間に一度は飲み会をするなど行動力も凄まじい。

 

人が好きなことや、行動力には私も自信がある。

同じだと思うと少し元気がでた。

 

でもどこか違う。メリハリだ。

次第に、私の結果は何だろうなど気にならなくなっていた。

 

 コロナの自粛期間は、初めて家で

ゆっくり過ごし時間に追われることのない日々だった。

毎日ヨガをやり、散歩をし、

夕食をつくることで、自力でメリハリをつけなくてはいけない。

 

リモートワークの日常は、誰も管理しないので、

自分で緊張状態を作らなければならない。

いくらか自分もメリハリをつけているではないか

という気がしてきたのだ。 

 

 ヨガにはまり、“今ここ”を存分に味わっているではないか。

私も人を元気にさせることをしよう、

結果は目に見えなくてもいいと、

ちょっと気分があがっていった。

 私自身が、アドラーに救われたのです。

もし、あの時、

 

仲間に、出会ってなかったら、

 

アドラーに出会ってなかった。

 

もし、あの時、

 

本屋に行って、アドラーの本に出合ってなかったら

 

今の私はどうなっていただろう

 

もし、・・もし・・

 

 

 その連続の先が今。そして

 

 

今朝、玄関でチャイムが鳴った

 

何だろうと思ったら・・・

 

50年前の同級生から

 

荷物が届いた。

 

 南の沖縄の太陽の光を浴びた

 

つやつやした、まるっとしたマンゴーだ。

 

 

友との50年ぶりの再会・・・

 

 

 

アドラーは、

 

「何年か先、自分の名前は

 

残らなくていい、

 

皆が勇気づけ会う

 

 社会になれば、それでいい」

 

といった。

 

 

 そして

 

「全て、自分が決めたことだ、今からでも

 

決めることはできる」

 

とも

 

 

 勇気づけに満ちた

 

言葉の数々。

 

 

 アドラーに勇気づけられた女性たち

 

の気持ちを、この本に書きました。

 

手にとって読んで

 

みてください。