エミシの死生観  「イデハ(出羽)の話」 | エミシの森

エミシの死生観  「イデハ(出羽)の話」

2014-12-20「村山葉山と月山遠望に想うハヤマ信仰」で書いた文を再編集して掲載

 

出羽の国。

 

現代人は「デワノクニ」と読む。

 

「出羽(デワ)」の「羽」は、その地方に色濃く残るハヤマ信仰の山の名の「ハ」と同じだ。

従って「デワ」ではなく「デハ」であり、そうなると「イデハ」の方が、やはりスッキリする。

 

毎度の繰り返しになるが、「ハ」の音に当てた漢字が「葉」、「羽」、そして「端」でも良い。

古からあった音に、輸入した「漢字」を当てただけの事でしかない。


大事なのは、その本質の意味だ。

出は、「出(イデ)る」。

「イデル」は、 「行く」「来る」「居る」の尊敬語で、「おイデになる」とかと使う。
つまり尊敬の念を込めて「イデ・ハ」と言っていたのである。

 

「ハ」は、俗説の集落の「端っこ」の意味ではない。

「入る」を意味する「ハ」である。

 

余談になるが「端(ハシ)」よりも「橋」の方が意味が近い。

あの世とこの世の間、その架け橋、としての意味は確かにあるからだ。

「ハ」と「シ」の間を渡す「橋」。

仏教の輸入によりあの世とこの世の堺、三途の川を渡る手段は、舟に変わるが・・・。

 

現代人の表現で言えば、
出は、「生まれること。」
羽は、「死ぬこと。」
を、それぞれ意味している。

そして生まれる出のは、この世(ここが現実の世界という概念)、

死ぬのはこの世を去る、ことなのだ考える。

 

しかしエミシの死生観は、その逆で
「この世から、あの世に出(イデ)る。」
「あの世から、この世に羽(ハ)いる。」

なのだ。

 

この世は、某脳に満ちた苦行の世界、あの世は、虚空(真如)の世界。

 

古の行者、行人、あるいは修行の僧、修験者が出羽の国にやって来たのは、その場所(生と死の出入り口、虚空の世界への出入り口)を探しての事だった。

 

※ハヤマ信仰については、2014-12-20「村山葉山と月山遠望に想うハヤマ信仰」を参照願いたい。