今のお仕事のマイストーリーが、

『ボランティアや子ども食堂やりたくて、時間と金を確保できる仕事に就きたかった』から。


子ども食堂は住んでる地域でもやってることを知って、来週その飲食店へ挨拶行ってきます。


月一で開催してるらしく、

うちで大根たくさん余ってるから(畑)あげるの。


  あんなに子供苦手だったのに、

自分に子供生まれてからは可愛くてさ~


(そりゃ、イラッとする時もいっぱいありますよ笑)


子供の貧困とか、居場所のない子供たちや、

困ってたり、悩んでたりする親の味方になれたら良いなあ~って。


拠り所になって、わたしを必要とされたい気持ちも多々あるんだけど。


誰かの役に立って、必要とされたい!


それはわたしが1番、守ってあげたい人たちが良い。


わたしはメンタル弱いから、同じような人たちを救いたいってのは、気持ちがわかるから。


しかも子供って、なんの罪もないじゃん?


親じゃなくても、誰か大人が守ってやらなきゃなんだよね。


てことで、平成でやり遂げます!








あなたの平成ラストにやり残したことは?


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訪問ありがとうございます( ^^ )

こちらの小林生観さんの、『ありがとうの魔法』から抜粋です。


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人間は、努力しなくてもいいのではないか。

存在しているだけで価値があるのではないか。

その人が存在しているだけで、心があたたまって、優しい気持ちになれるなら、その人はものすごく価値があるのではないでしょうか。

わたしの長女は知的障害を抱えています。

この子は、努力もしないし、頑張りもしない。

才能もないため「頑張らなければ、人間ではない」という価値観からすると、この子は価値がないことになってしまいます。

ところが、彼女が属しているクラスは、生徒がみんな優しい。

彼女の存在が、クラスの子を優しくしてしまうようです。

どうしてかと言うと、この子は、ありとあらゆる場面において、争わないし、競わないし、戦わないからです。

この子が、小学校6年生のとき、三学期の通知表に、校長先生が特別に書いてくださったメッセージがあります。

こういう内容でした。

『6年生全員で、慶子ちゃんほど心を込めて「ありがとう」を言う生徒はいませんでした』

長女は幼い頃から、私たち夫婦は「ありがとう」を言い合ってきたものですから、彼女もいつの間にか「ありがとう」を覚えてしまったようです。

彼女は「ありがとう」を言う時、90度まで体を折ってお辞儀をします。

この仕草がとてもかわいくて、とても美しい。

我が家でいちばん美しく「ありがとう」を言える人です。

先日も、こんなことがありました。

駐車場に戻った時、私たちがサッサと歩いていると、長女だけがトコトコと料金所まで行って、「ありがとう」と係の人にあいさつをしました。

車を停めた私たちは、料金を払うのですが、係の人は、私たちがいない間、車を見てくれていた。

ですから、彼女の目には「見てくださって、ありがとう」と映ったのでしょう。

長女を見ていると、この子は、「人間が、生まれながらにして待ち合わせている優しい心」を呼び起こすために生まれてきたのではないか、と思います。

彼女は、ただひたすら、その役割で存在しているかのようです。

この子がしていることは「ありがとう」と行ってニコッとする、ただそれだけです。

でも、笑顔を見せることによって、クラスの子供たちは、みんなやさしい子供たちになっていった。

そして、この子と一緒に過ごしている小林家の人間も、優しくなりました。

常識からすると、どりょくをして何かを成し遂げたり、頑張って成績を上げたりすることが良いことのように思われています。

もちろん、それも尊い才能ですが、努力や頑張りだけが価値ではないはずです。

その人が存在していること、その人がその人であることが、周りをものすごくあたたかくし、穏やかにし、笑顔にする、そんな存在の人もいるのです。

全ての人は『存在するだけ』で価値があると思います。

そこに存在してくださっていることに『ありがとう』なのです。

すごい功績を残さなくてもいい。

そこに「あなたが、あなたでいてくれだけでいい」のだと思うのです。

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『存在しているだけで価値がある』

いや~素敵な言葉です!

というか、気付いていない人が多すぎる!と思っています。

以前、Facebookでメンタル系のコミュニティに入っていましたが、投稿がとても過激でした。

『わたしは役に立たない人間なので〇〇します。』
『誰からも必要とされない。もう〇〇します。』

こんなのばかりです(^_^;)

わたしもそう悲嘆していたので、その気持ちもよーくわかるのですが・・・

それって、「あなた自身が、そう感じていること」だよね??

実際に身の回りの全ての人に確認して、たとえば100人に聞いて100人全員が『お前、私にとって何の役にも立たなかったよな~』って言ったんじゃーないよね??

つまり、役に立ったかどうかなんて、わからないじゃん!
ってこと。

あなたの、ふとした発言が心に響いて、生活がより良く変わったかもしれない。

一緒にいて悩みを聞いてもらうだけでも、心が軽くなって『この人に話して、よかった!』って思うかもしれない。

皆、育った環境も、感じ方も全然違うのにさ・・・
なぜ、自分の価値観を当てはめるの?!

『役に立ってない』
『必要とされていない』
・・・と感じていないから。

ってことは反対に、
『そう感じさせるように、わたしのこともっと認めてよ!』
と言ってるんと同じでないの??

いや~関わりたくないわ、そんな人。

・・・あ、わたしもだった( ̄▽ ̄;)笑

認められないと感じるなら、もっと他人を愛すれば良い。
そしたら『この人のために、どんな良いことが出来るかな?』って、考えるのが楽しくなるんじゃないかな。

もちろんなーんも返ってこない人も、感謝しない人も、利用してくる人も、裏切る人もいるでしょうよ。

そしたらそんな人手放しちゃえば良い。

害のある人・・・『あのひとがこうだから、わたしは辛く想う!』とか、そんなのもココロに害だよね。
そんなんわざわざ付き合わなくても良い。

人は、たーくさんいるんだから!笑
『あの人しかいない』なんて、視野が狭すぎるでしょう。
友達だって、恋人だって、再婚相手だって、探そうとすればいくらだって見つかる。

関係を築こうとすれば、もっと仲良くなれる。

だから、努力もしないのに嘆くなんて、鬱陶しいだけ。

・・・と、今の自分にも言い聞かせております笑

自分らしく生きること、自分に合った居場所を自ら探すことが、わたしにとっても周りの人にとってもプラスになるのでしょう。

力を抜いて、自分らしく!
楽しく過ごしましょ~パックキラキラ


訪問ありがとうございます( ^^ )

今日はこちら、小林生観さんの言葉からですちゅー

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お釈迦様の台座は、『蓮の花』です。

なぜ、蓮の花が選ばれたのでしょうか?

蓮の花は『泥水』の中からしか、立ち上がってこないと言われています。
真水の場合、蓮は立ち上がってきません。
しかも、泥水が濃ければ濃いほど(水が汚れているほど)、蓮の花は、大輪の花を咲かせるらしいのです。

泥とは、人生になぞらえれば、「辛いこと」「悲しいこと」「大変なこと」です。
蓮の花とは、まさに「人生の苦難の中で、花を咲かせること」です。
そして、その花の中の実が「悟り」ということにほかならないでしょう。
「辛く悲しい思いがなければ、人間は悟ることがないのだ」ということを、お釈迦様は教えたかったようです。

蓮の花には「三つの特徴」があります。

【1】「花果同時(かかどうじ)」
花と果実が同時に開く(実る)ことです。
花が開いた時に、中には既に果実が存在しています。

【2】「汚泥不穏(おでいふおん)」
蓮の花は、どんなに汚い泥の中から立ち上がってきても、その汚れに影響を受けず、とてもきれいに咲いています。

【3】「蓮にあだ花なし」
「あだ花」とは咲きそこなったり、きれいに開かなかった花のことをいいますが、蓮の花には、あだ花がないようです。

泥水から立ち上がった蓮の花は、きれいに咲く。
泥の中から立ち上がってきたことを感じさせないほど、美しく咲いています。
つまり、どんな悩み・苦しみ・大変なことの中から立ち上がってきても、そこで沼を突き抜けて花を咲かせた人は、美しいもの(悟り)を手に入れる、ということです。

お釈迦様は、蓮の花のありようについて、ひとつの「経文」を残しました。
それが「法華経」というものです。
お釈迦様にとって、蓮の花のありようは「人間のありよう」を教えるものであったのでしょう。
「美しい花を咲かせるためには、泥が必要である」
「悲しみ、つらさ。大変なことがない限り、美しい花を咲かすことができない」
ということを、お釈迦様は、後世の人に伝えたかったようです。

「私たちには泥水が必要である」そう、思うことが出来れば、「不幸」や「悲劇」と言われていることは、実は自分にとって、ものすごく嬉しく、楽しく、幸せで、素晴らしいことだということに、気づけるのではないでしょうか。

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うちの近くに、蓮の花がきれいに咲く場所がありますちょうちょ

普段はそんなことは気にしないのですが、『泥の中に咲く』

うーん、たしかに!

土、じゃなくて、泥。
ですよね。

濁った水から、力強くて、きれいな花が咲いている!

それを人間にあてはめてみると……
なるほど。と思いますクマムシくん

楽して、薄っぺらい人生を歩んできた人は、話していると何もかも乏しく感じてしまう。
夢や目標もなく、平和ボケしながら、なんとなく流されるままに生きてきてしまったー!
なんて人からは魅力も何も感じられません。

反対に。
自分都合で心が傷んで、勝手に苦しんで生きてきた人も、ただの自己中心的な生き方なので、そこから溢れ出る不平不満は耳が痛くなります。

……じゃなくて。

わかりやすく言うと、世のため人のため、もちろん自分のために……
工夫を凝らして、それでも上手くいかず、失敗を繰り返して人生を歩んできた人って、話していてもとーっても、楽しいんですよねルンルン

見た目じゃなくて、『心が美しい』。

誰かのために、もちろんそれが自分のためであっても……
自分だけの、自己中じゃなくて『誰かの幸せ』を願って生きてる人。

そんな人には、自然と周りにたくさんの人が寄ってきませんか?

わたしも『もちろん自分のためでもあるけど、誰かの役に立てるように!』生きていけたら、それは納得のいく、美しい生き方なのかな……と、思います!ピンク薔薇

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子供たち

テーマ:
訪問ありがとうございます( ^^ )

今日保育園でもらってきたプリントに、素敵な言葉が書かれていたので載せます!

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子供たちのつぶらな眼に涙を沸かす前に、

考えてみなさい。

晴れ渡った空を曇らせるような言葉を口にする前に、

ちょっと立ち止まって考えてみなさい。

子供たちはこの悩みのおおい人の世に、

自分から好んで生まれてきたのではありません。

  __だから、悲しみや悩みや争いから、できるだけ彼らを守ってやりなさい。

子供たちにはもてなしや、金目のおもちゃよりも、愛情が必要です__

愛情と理解が、幸福な家庭とまじり気のないよろこびが・・・。

にっこりわらいかける顔、思いやりのある声、平和とハーモニーが__

幼い人びとに、生きていくよろこびと自信を与えます。

お金では買えないもの__

をよくわかって大事にすることを教えなさい__

ひろびろとした世界、

大地や海や空の美しさを。

未来というものを心に浮かべてみると、

子供たちのために私たちは身がしまります。

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ベーシェンス・ストロング『子供たち』より。

日々仕事をして、家事をこなし、育児もやり遂げる。

目まぐるしい毎日です。

つい、自分のことで頭がいっぱいになると『もう!』と全部投げ出したくなることもある。

仕事から帰ってきて、ごはん作ってる時に

『まま、来てー!』『あれ取ってー』

なんて言われると、それだけで『えーっ、ごはん作ってるのに……』とげんなりしてしまう。

やっと一段落して子供を寝かす時、
なかなか寝付かないで遊んでたりすると、
ついカーッとなって怒ってしまう。

そんなバタバタを過ごしているから、
この言葉には『いけない、いけない!』と正気にさせられます。

自分を幸せにできないひとは、子供のことも幸せにしてやれない。

わたしもカーッとなってしまうから、まだまだ出来ていませんチーン

自分を幸せに……
それは、自分の考え方や行動によってできるんだと思います。

子供は育てなきゃいけないし状況は変わらないんだから、
『どう楽しむか?』工夫が必要。

プンプンしてる母ちゃんより、ニコニコしてる母ちゃんのが、ぜーーーーったいに!良いのです。

子供もニコニコするでしょ。

『__だから、悲しみや悩みや争いから、できるだけ彼らを守ってやりなさい』

母親として、当たり前の事なのでしょう。

『当たり前を普通に』できる母ちゃんになろうラブラブ

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