ブログを再び始めて、暇ありゃTwitterもやって、サーフィンまでし始めて。

なんか。なんだろ、言いたいことを言うってね。と思うこと多々あり。
自戒の念を込めて、嵐とは直接関係ありませんが、記事にします。

■言いたいことを一瞬で公にできる様になったのは最近

 自分の興味のある話題やニュースを目にすると、言いたいことの一つや二つってあるじゃないですか。でも、これを言葉にしたら罪悪感あるなとか、いや言わないと済まない!とか、人それぞれ程度の差はあれど、多かれ少なかれ考えることがあると思うんです。

 私は、言いたいことが100あったら85くらいは言えない人で、このブログも、残り15くらいでいろいろ調べたり言い回し確認したりなにせ唸りながら、最終的には、えいやっ!って勢いで投稿してるわけでして…えぇ、最終的には…(笑)

 今ではインターネットが普及して、そういう場が溢れていて当たり前のことになりましたけど、つい20~30年前までは、文字で自己主張するには新聞の読者欄か、何かしらの紙媒体か、あとはラジオですかねぇ…。ちなみに、一回り上の先輩の卒論は思いっきり原稿用紙でしたしね。Wordの便利さたるや…

 パソコン通信はおろかパソコン自体オタクの所有物だったのに、2000年初めには誰もが気軽にインターネットにアクセスできるようになっていて(Web1.0)、2000年中頃になると閲覧するだけじゃなくて、気軽に発信しあえる状況がブログやSNSの台頭で出来上がっていって(Web2.0)、いまやスマホの普及でじーちゃんばーちゃんまでネットに繋がってる今。

 でも、ネット上で言いたいことが言える環境の整備があまりにも急過ぎて、人が追いついていないというか、自己主張する権利がいったいどういうものなのかっていうのは今の大人こそ学んだり考えたりしてこなかったと思うんです。


■視野を狭める、排他的な「自己主張」

 ネット上で荒れていたりするのを見ると、みんな、感情を浪費していて、自分まで引きずられて悲しくなることありませんか。アイドルのファン同士の衝突とか。

 ときどきブログで見かけるのが、「気に障ったなら何も言わずそのまま去ればよい」的な…。多分何かがあったのでしょうね…有名人への批判的な言葉も時に並んでいましたから。その結果、共感してくれる人さえいれば良くなってしまったのかも。

 でも、そうすると自分の視野がどんどん狭くなっていくんですよね。自然と「いいこと」まで集まってこなくなって、自分の視野さえ守れれば良い、邪魔しないでほしい、と言う風になってしまう。でも、自分の権利を守りたいがために他人の権利を尊重しないような姿勢は違うと思うんだよなー、もしこういう大前提を知っていたら、その感情をもっと違うことに使えるのになーと思いながら、意見は受け付けてくれないとのことだったので、残念な気持ちを抱えたままその場を去りました

 もちろん、運営主の方針なのでそうしたいのであればこれ以上の異論はないですよ。
 言いたかったのは、そういうことに気がついて、私はどう思うか、勉強させてもらったということで…もごもご。(皮肉たっぷりの自己防衛

 こういうモヤモヤを抱えたまま、最近ある本を読んで、それほど意識してなかったなぁと思ったのが、
全ての人には言いたいことを言う「権利」がある、ということでした。

権利=「社会のルールに則って求めることができるもの」
社会のルール=「人々が気持ちよく暮らしていくために必要なこと」


…だと私は思っているので、言いたいことを言うのにね、誹謗中傷、批判、揚げ足取りに八つ当たり、プライバシー侵害とか、何でもかんでも自分の思うことを主張していいかというと…健全な社会であれば袋叩きにされるはずなんですけどね…
 今は、「自分の意見と違うものをはねつける」「同じ意見に染まる」というのが正しくて、言葉の中身にさえ迫れなくなっているような気がします。村社会を好む日本人の、すぐには変えられない気質。

 自分も相手もなるべく気持ちよく言えるようにしたいのなら(したくないなら論外ですが(笑))、自分が言いたいことを言うなら、相手にも自分と同じ権利があることが大前提だということを忘れてはいけないと思います。
(そもそもその権利すら認めたくないのなら付き合わない方がいい、というドライな自分も置いておきます)

■自己主張「しない」権利もある!

 相手に意見を言う権利があるから、自分にも意見を言う権利がある。
 自分が意見を言うからには、相手の意見について判断し対処する権利もある。

 自己主張の権利って、「する」だけじゃなくて「しない」権利もあるのですよ。それが

自分の行動について理由や弁解をしない権利

えーっ!?て思いますよね。私、思いました。これは本を読んで知りました。

 もちろん前提があるんです。
 それは、相手が社会のルールを思いっきり破って突進してきているときや、あらゆる手を尽くしても埒が明かないときなど。

 たとえば、相手の発言が感情的だったり意味不明でどうにも対応しきれない、自分にとって対応することが不利益だと判断した時などは、対応しないという選択をする権利もあるってことなんです。

 これは、発言するのに常に不安を覚える私にとって、今、大きな味方です。

 皆いろんな人生を送ってきているのだから、いろんな考えがあって当然なのですが、やはり、こういう権利だってあるのだから、おおっぴらにして自論を展開しておきながら「邪魔しないで」は無しにしましょうよ、というのが今の私の意見です。
(コメントや返信に対応したくないのなら、個別にしかるべき方法を選べばよいだけの話。)


■排他的な意見表明に未来はない。

 そもそものスタンスが違いすぎるんでしょうが、私は排他的な意見表明は、正当な権利行使だとは思いません。
 私は、読んでいる人の好きな人・モノ・コトが嫌いになるような文章は書きたいとも思いません。まして、読者の方々の持つ、自分との異なる意見を十把一からげにして抑圧してまで、自分の思うこと(ましてや人への批判なんて…)をブログやTwitterで言いたいとも思いません。
 読んだ人が新しい何かに気づけたら100点満点!というスタンスで、ブログをやってきたので、読む人のことを考えて、間違っていることを間違ってると言って下さるのならありがたいと思います。

 違う意見を言いたいのなら、「あなた」を主語にするのではなくて、「私」を主語にしたらいいんじゃないかなと思います。「あなたは何も分かっていない」とか、「あなたは間違っている」と言うよりも、「私はこう思う」「私はこう感じた」「私が●●で調べたところ、こういう事実もある」と具体的に言う方が、相手も冷静に話を聞けますよねこれが、本当に言いたいことを言えるネット社会の基本形になったらいいなと思います。

 あと、最後におまけでもう一つ。
 最近強く思うのが、「多角的に物を見ること」は、人の欠点を突くことではないということ。多角的に物を見る必要があるのは、良く生きるため、良い解決の方法を見つけるためであって、そういうことを目的とするのは意味がないと思います。

 最近自分にも言い聞かせています。私も、たまに多角的に物を見ることそのものが目的になってしまうことがあるので…。

 ちなみに、自己主張の権利には、「間違うこと」も権利として認められています。
 もし間違っていたら、間違っていましたと素直にごめんなさいして、次から気を付ければいいし、周りもそうか間違ったのか、で終わりにすればいい。もし納得がいかないのなら、納得がいかない理由を不満だけではなくて具体的に、ちゃんと伝わるように表明して、解決してもらえばいいと思います。(逆にそうしないものは見てもらえないという自覚も必要)←これ大事

 言いたいことを言うのは、自分を犠牲にすることなく相手や社会との関係を保つため。相手を犠牲にすることなく、自分の能力や個性を高めていくため。そういう目的意識を持てたらいいなと思います。

 ま、そんなこんなでも、ストレスたまるならたまには爆発させてもいいですけど…(笑)
 みなさん、手段を選んで、お手柔らかにお願いしまーす!


P.S. 私のブログの読者さんやTwitterのフォロワーさんは、とても好意的でありがたいなと思っています。これからもよろしくお願いします!
あと、「パソコン通信」とか懐かしい言葉に反応した方がいればぜひコメントを(笑)