「また、明日」
私の大好きな言葉。
昔、看護師として働いていたころ、
当たり前のように毎日交わしていていた言葉。
けれど、大好きな先輩が退職される出勤最終日。
エレベーターに乗っていく先輩に
「〇〇さん、また明日!」と言おうとして ハッとした。
「また明日」が言えない…
ハッとしたと同時に溢れだした大量の涙。
大好きな先輩との別れは寂しくて寂しくて
なかなか受け入れられなかったけれど、
当たり前に交わしていた言葉が交わせないこともまた
私の心の寂しさを ドッと助長させたのです。
と同時に、「また明日」「また〇〇」と言えることの有難さ、
当たり前ではないのだということを身をもって感じたあの夕方。
あの瞬間の エレベーターがしまっていく光景が
最近よくふと頭に浮かびます。
「当たり前」のことを「当たり前」と思わずに
毎日の小さなことにも感謝して生きよ ということかな?
子育てもまた、毎日が当たりまえでは無いのだろう。
長女の幼稚園も、いよいよ卒園間近。
当たり前に登園し
当たり前に降園し
当たり前に今の仲良しメンバーと交わす「また明日!」もあと数日。
当たり前は当たり前では無いけれど、
それでも当たり前のように過ぎていく時間を、
私なりに大切にしていきたい。