「ヴィクトリア十字勲章」 その3 | ジョジョの忠義な哲学ッッ!

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ジョサイア・ロイスの名著『忠義の哲学』(Philosophy of Loyality / Josiah Royce)の「ジョジョ」訳を連載中です!
人類に平和をもたらす「忠義」について、『ジョジョの奇妙な冒険』との合わせ技で楽しく解説します。

『海山物語』

(ラドヤード・キプリング著 マクミラン発行 1923年初版 1951年再編集版)

底本 Land and Sea Tales for Scouts and Guides
by Rudyard Kipling  MACMILLAN AND CO.,LIMITED  1951
(First Edition November 1923)

 

第1話

「ヴィクトリア十字勲章」 その3

 

(訳者より

 ヴィクトリア十字勲章とは、「敵前において」「勇気ある行動を示した」者に与えられる、イギリスの勲章です。キプリングが受勲者たちの勇気の事例を紹介するエッセイ、第3回・最終回です。ブログで読みやすいように、適宜改行を追加しています)

 

 

かつての十字章最年少受勲者の一人は、インド高官付きの副官をしていた美男であったと聞く。部外者が察する限りであるが、彼の任務は青のサテン飾りの制服を着て、舞踏会・晩餐会の客全員が楽しめるよう注意を払うことであった。

 

彼は背後にも目を配りながら笑顔で巡り、不慣れな男性や少々くつろげていない男性がいたら、まだ踊る相手のいない女の子に紹介する。年嵩で退屈な女性は食事へ案内し、最終的に帰りの馬車へと送り出す。あるいは、勲章だらけの白髭の現地人将校が迷路のような大会場でまごついているのを、総督や最高司令官など誰であれ紹介すべき人のところへ喜んで連れて行く。

 

英国士官とグルカ兵(1858)

 

この仕事を数年こなした後、彼にチャンスが巡って来た。彼はそれを最大限に活かしたのである。

 

その時我が国は、海抜およそ千六百フィート(四八七メートル)、氷河に囲まれたカラコルム山脈のふもと辺りに住む山賊、奴隷商、泥棒どもの根城を見つけ出したところだった。

 

ところがそこへ至る唯一の道は、多くのラバを連れて行くにはあまりに難路であった。雪解け水がごうごうと流れる河の上、岩山をめぐる断崖沿いの道だったからである。

 

 

我々の敵、カンジュツと呼ばれていたこの盗賊団は、天険と人の業によって難攻不落となった場所で守りを固めていた。砦の一つは絶壁の上、1200フィート(365メートル)にあって寄せ手の頭上へ直に石を落とすことができる。我々にとって落石というのは、銃撃されるより嫌なものである。

 

カンジュツは凍った峠の下の河床に陣を張り、彼らの頭上を守るかのような断崖に三段の桟敷を設けた。そしてどの桟敷にいる者もしっかりと武装している。まったく喜ばしいことに、十二月のことであった。

 

 

ここで、この元・副官は優れた登山者になることとなった。グルカやシク教ドグラといった現地の騎兵100と共に、要塞の最上段へ登攀するよう命ぜられたのである。

 

そこへ至るには、敵が石を投げ落とし続けて滑らかにしてしまった、絶壁面上のある種の落とし樋を辿っていくしかない。平穏な昼間にガイド付きで行くにしても、困難な登攀であったろう。

 

 

2千からのカンジュツを向こうに回し、彼は目と感覚を頼りに闇の中を登って行った。だが800フィートをほぼ垂直に登ったところで、引き返さざるを得ないことを悟った。彼も山慣れしたグルカでさえも、そこから先の道を見つけられなかったのである。

 

 

彼は河床へ戻り、新たな場所から再挑戦することにした。滑り落ちて来ては人を打ち倒す岩石の間を縫って、部下たちを登らせたのである。

 

上まで登り切るや、彼は部下を率い、銃剣とグルカのナイフ「ククリ」を携えて砦へ突入せねばならなかった。攻撃は大胆不敵の不意打ちだったため、敵は肝をつぶし、勝負はついたも同然だった。この場所の写真を見たら、その理由も納得だろう。

 

 

徹頭徹尾、銃火の下での岩登りだった。彼の部下は正規兵ではなかったが、準独立の王たちによって取り立てられた「王の軍団」、国境を防衛する者たちであった。彼らはまったくこの作戦を楽しみ、そして若き副官は当然に十字勲章を授かったのである。

 

これまた、オデュッセウス級の勇気だった。というのも、岩山を登る間、砦の真下にたどり着くまでずっと、偶然の落石が部下たちを隊列から跳ね飛ばすのではないかと考えていなければならなかったからである。

 

 

新聞社の耳に届かぬところで早朝に何度か撃ちまくっても、正規の敵がおらず銃撃戦もなければ、十字勲章は得られない。だがそれでも、最高の武勇と言えるものがある。

 

 

時折、神の知りたもうクダジャンタ・ハン山脈の向こう、無主の僻地へと名も無き男たちを送り込み、いつの日にか危険な敵となり得る民族の間に何が起こっているのかを探る必要がある。

 

 

彼らが報告を携えて戻ってくるならば、なおさら結構なことであろう。そして勲章なども授かるかもしれない。

 

だがそれは大衆に理解できる範囲でのことであって、真の理由に基づくものではない。もし彼らが戻らなければ、すなわち、どうしたわけか僻地に姿を消してしまったならば、それは彼らのみに関わることであって、疑問が呈されることはなく、調査も行われないのである。

 

 

そのような男たちの一人が、何年か前に無主の地へと踏み入ったという。どのようなところかを見て回り、たいへん愛想のよい人々の一団に出会った。その人たちは彼を夕食、昼食、踊りに招待してくれた。

 

彼にはわかっていたことだが、その間中ずっとこの連中は、彼を翌朝まで生かしておくべきか、生かしておかないと決めたなら、どうやったら静かに始末できるかを議論していたのである。

 

 

この連中を逡巡させていた問題はただ一つ、ここから数マイル以内に500人のイギリス人がいるのか、それとも500マイル以内にまったくイギリス人はいないのか、彼の態度からは判然としない、ということだった。しかもこの時、連中はそれを確かめに出かけるわけにもいかなかった。

 

 

だから彼は、背後に控える礼儀正しい給仕係がいつ銃火の饗宴に転じるかなど知ることもなく、愉快で陽気な人々、良き友人たちと踊り、食し、狩猟その他の話題を語り合ったわけだ。そうして最後には、野蛮な言葉も発されることなく、彼は放免されることとなった。

 

連中がこれを決定する際の態度は、極めて立派であった。記憶さるべきことに、この駆け引きにおいてどちらにも悪意は生じていなかったからである。

 

 

別れにあたって、連中は饗応と共に彼の健康を祝して乾杯し、彼は楽しい訪問であったことを感謝した。連中は「喜んでいただけてうれしいです。それではまた」と言い、彼は少々うんざりした様子で帰って来たのである。

 

 

後にこの話が流布するや、連中は、イギリスが彼を行方不明になったものとあきらめており、誰も彼と再会できると思っていなかったことを知った。ここに至って連中は、彼を壁の前に引き立てて撃ち殺せばよかったと悔いたのである。

 

 

これは多年の鍛錬のもたらしたところ、冷静沈着なる勇気の実例である。駆け引きを利するため、精神の勇は肉体を逆境に耐えさせるのである。

 

 

結局のところ、精神の勇こそは誰もが望みうる最良のものなのである。弱い心、あるいは未鍛錬の精神は緊迫した状況(間違った方法で恐れを抱いてしまう)において無鉄砲になったり、当座の利を得るために行動したりしがちだ。

 

このため、ヴィクトリア十字勲章の授与は慎重に行われる。受け狙いや勲章目当てである疑惑がある者については、そう宣告され、攻撃の最前線に残されて、再度負傷者を助けねばならないことが多い。誠忠を証明するためである。

 

第一次世界大戦・ソンムの戦いにおけるイギリス兵(1916)

 

世界大戦においては、このような疑惑、十字勲章狙いの見せかけの機会はほとんどなかった。必要に迫られて、一人で数回も勇を揮って行動せねばならない場合が多かったからである。さらに兵は通常、単発銃や刃物よりもずっと危険な武器に身をさらし、銃火の下での負傷者の救護は極めて重い任務であった。

 

だが、私の知る十字章受勲者の一人二人はこう語るのである。自分を冷静に保つというちょっとしたことができるのなら、機関銃の死角に入るだとか、その射程下限より下に身を伏せるだとかいうのは、言うほど難しいことではない。そこでは「怖れさえしなければ、全く落ち着いていられる」からだそうだ。

 

また、私の話した世界大戦受勲者の誰もが、自分が十字章を授かったのは、たまたま誰かがそれと気づく時と場所において、然るべき行動を取ったからに過ぎない、と慎重に語るのである。

 

彼らは言う。何千もの兵が自分と同じことをやったが、そこには見ていた者がいなかっただけなのだ。それは間違いない。なぜなら、長い年月を経ても真の軍人精神はほとんど変わることはないのだから、と。

 

 

私たちはどのようなことのためであれ、権威ある者たちがその位置を得た後に(得る前ではなく)静かに出てゆき、進んで行動するよう教えられる。また、すぐ目の前にある平凡な仕事、任せられた務めを怠けたり避けたりすることは臆病、未熟、卑怯であるとも言われる。

 

他者にとって名声や栄誉に見えるものに、私たちが飛びつくのを避けるためである。だが何よりも、熱意ある仲間たちがどう思うかが大切なことであって、私たちはその審判の眼に、常に見られているのである。

 

 

勲章それ自体は個人のものであり、その名誉と栄光は受勲者に属す。しかし、その人はただ己を、自らの名誉と栄光を忘れ、自分自身の外側、彼方にある何ものかのために尽くすことによって、勲章を得るのである。そしてそれ以外には、この世において不朽の価値あるものを得る道はないのである。

 

(「ヴィクトリア十字勲章」 完)

 

 

(訳者より)

第1話の「ヴィクトリア十字勲章」は今回で終了ですが、個人的に気に入ったのが、上記の

 

「だが何よりも、熱意ある仲間たちがどう思うかが大切なことであって、私たちはその審判の眼に、常に見られているのである。」

 

というところです。有名なルース・ベネディクトの『菊と刀』以来、日本人は周りの目を気にして己を律する「恥の文化」だが、欧米人は神の教え(絶対的原理)に基づいて自ら己を律する「罪の文化」だと言われますが、

 

イギリス人も、その中でも特に優れた人たちは「他者の目」を気にしているのです。それも、「熱意ある仲間」を重視している。仲間の視点を自らに取り込み、己の行動を当否をはかっている。

 

これは、施光恒さんの『本当に日本人は流されやすいのか』で述べられている、「他者の視点を内面化し、それを以て己を照らす」、「お天道様に見られている」という日本人の伝統的道徳意識に通ずると思います。

 

『忠義の哲学』のジョサイア・ロイスの言う、人の最高善たる「忠義」も、人と人との関係性において働くものですし、その関係性から生じる理想によって、自らの行動の当否を判断します。やはり、日本の伝統的道徳意識に通じるわけで、それはベネディクトの言う欧米流の道徳観に劣るものでは決してないですね。

 

勲章の方に話を戻しますと、ヴィクトリア十字勲章の場合、戦場・前線での功績を賞すものだけに、戦死者・戦傷者に与えられる場合が多い。

 

イギリスの作家サマセット・モームの戯曲『報いられたもの』に、第一次大戦で十字勲章を授かったものの、戦傷で盲目になり、家族の世話になりつつ、無為に余生を過ごす人物が登場します。

 

彼は、また強欲な政治家たちが戦争を起こすなら、「僕を見ろ、だまされてはならない」と社会に訴えるつもりだと言う。また、勲功を挙げたものの、退役後は金に困り、事業に失敗する人物も登場します。

 

(一方で、戦争中は楽しかった、最高だった、また戦争が始まったらすぐに志願するつもりだという者も登場しますが…)

 

こういう点を見ると、戦争というものはできる限り避けるべきであると共に、起こってしまった後には、戦死傷者や家族には、後々まで手厚い保障が必要だと思います。この方面でも、積極財政が重要ですね。

 

金銭面・精神面、両面において、長く政府がバックアップしていくこと、それが兵士・庶民の忠義に対応する為政者・政府の忠義だと思います。双方の忠義が遺憾なく発揮されてこそ、国家の発展が実現するはずです。

 

さて、次回の『海山物語』ですが、

ボーア戦争での事件を描く小説、「丘の伏兵(原題:The Way He Took)」です!

 

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