「ヴィクトリア十字勲章」 その2 | ジョジョの忠義な哲学ッッ!

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ジョサイア・ロイスの名著『忠義の哲学』(Philosophy of Loyality / Josiah Royce)の「ジョジョ」訳を連載中です!
人類に平和をもたらす「忠義」について、『ジョジョの奇妙な冒険』との合わせ技で楽しく解説します。

『海山物語』

(ラドヤード・キプリング著 マクミラン発行 1923年初版 1951年再編集版)

底本 Land and Sea Tales for Scouts and Guides
by Rudyard Kipling  MACMILLAN AND CO.,LIMITED  1951
(First Edition November 1923)

 

第1話

「ヴィクトリア十字勲章」 その2

 

(訳者より

 ヴィクトリア十字勲章とは、「敵前において」「勇気ある行動を示した」者に与えられる、イギリスの勲章です。前回に引き続き、キプリングが受勲者たちの勇気の事例を紹介します。今回から、読みやすいように、適宜改行を追加しています。)

 

フレドリック・グッドール「ラクナウの解放」

↑※どっちかというと前回の方に所縁ある絵ですね。インド大反乱時を描いたものです。

 

 

従軍牧師と軍医は非戦闘員であると公式に見なされている。だが実際のところそうではない。

 

インド大反乱の約二十年後、ある従軍牧師が十字勲章を授かった。彼の勇気を無視することができない事情があったのだ。

 

とはいえ、彼がただ売名したかったのだとは思わない。彼は連隊付きの牧師であった。戦闘中は一般的に、牧師は軍医のそばにいるものとされており、気づけば彼は騎兵隊担当医の近くにいた。というのも、第九騎兵隊の将校を病院船へ運ぶ手助けをしていたからである。

 

そして自分の仕事にとりかかろうとしたところ、牧師は二人の騎兵が馬もろとも水路へ転落するのを見た。しかもその二人を追って、敵であるアフガン兵の一団が急ぎやって来る。

 

記録を見ると、牧師は二人を救ったとある。しかし私が非公式に聞き及んだところでは、騎兵たちが水路から出ようともがいている間、牧師はどこかで拳銃を見つけ、それでもって見事な働きをしたのである。

 

これはいかにもありそうなことだ。なぜならアフガン兵は、よほど強いきっかけがなければ、弱った敵を放って退かないものだからである。また、戦闘中の事件ついて一貫した見解を求めるなら、軍団の牧師か司祭に尋ねればまず間違いないということもある。

 

 

とはいえ、詳細を知ることは難しい。私は十二人ほどのヴィクトリア十字の受勲者に会ったことがあるが、どの人も口をそろえて、自分は他のやり方などあれこれ思い悩むことなく、まずこの手でできることを行ったのだと言う。

 

戦闘に乗り気である間は、アフガン兵はたいへん優れた戦士である。そんなアフガン兵の集団へ、牧師はたった一人突っ込んでいって五人を倒したのだ。

 

彼はこう語った。「アフガン兵たちはそこにいてね、立ち去ろうとはしていなかった。私がやるべきことは何か? 手紙を書いて立ち去るように頼むか?」

 

 

私が会った別の人物は医師であった。ところで、軍医には十字勲章を授かる特別な機会があるものである。軍医は任務上、最前線の間近に控えざるを得ないし、大抵はそこへ駆けていって身を伏せつつ、負傷者を診てやることになる。

 

二十三歳くらいの若い兵卒を腸チフスの熱から救い、立ち上がって元気になるのを見届けた医師にとって、その若者が無慈悲な銃弾の犠牲になるのを見るのは、胸が潰れんばかりに辛いことだ。

 

私の友人が、銃火の下で負傷者を救うという、決して色褪せぬ古き光栄ある業を成し遂げたのも、その心からだったにちがいない。

 

彼は十字勲章を得たが、そこで言ったのはこうである。「私が軍医官として任にある限り、勝手な診断、あるいは腕や脚の切断など一切あってほしくなかったのです。それは礼に反することです」

 

負傷者の止血をしていた時、彼は危うく自分の頭を吹っ飛ばされるところだった。というのも、丈高い草に囲まれている上、あちこちで発煙筒の煙が噴き出し、人の姿が全く見えない視界ゼロの茂みでの戦闘だったからである。だが、弾丸で自分のヘルメットにひびが入っても彼は唸ったのみで、止血帯を使い続けた。

 

 

お察しのとおり大戦前のほとんどの小戦闘においては、ジュネーブ条約(※)や負傷兵の取り扱いについて敵方は何も知らなかった。

 

とはいえこの場合、敵方は白人の医師の顔面に向かって発砲したのである。敵兵たちは公式ルールを理解せず、病院でも戦い続けようとするわけだが、それは敵方の習慣であったので責めることはできない。しかし、そんな敵の負傷者を手当てしようとする我が軍医たちが撃たれるというのは、きわめて厄介なことであった。

 

※戦時中の傷病兵・捕虜の扱いについての協定

 

 

スーダン人の負傷兵についての興味深い逸話がある。我が軍の兵士たちから「ファジー」と呼ばれていた男で、戦闘の後、彼は慎重に病院へ搬送された。

 

すっかり力を取り戻すと、彼は早速、現地人の看護兵に提案した。他のベッドに寝ている異教徒どもを二人して皆殺しにしてしまおうというのである。

 

看護兵は同意しなかったので、軍医が来てみると、ファジーは独りで計画を実行に移そうとするところだった。おかげで軍医は、この単純男と面白くもない取っ組み合いを演じる羽目になったわけだが、最後にはクロロホルムの袋を彼の鼻にかぶせることができた。

 

ファジーは銃器を理解し、怖がりもしなかったが、彼を昏倒させるこの魔法の香水には恐れ入ったらしく、もはや病棟でトラブルを起こすことはなくなったのである。

 

 

というわけで、軍医の人生というのは常に少々冒険的なものなのだ。医師としての職務は別にして、他の士官が倒れた場合、残された部隊を指揮する将校になってしまいかねない。軍医というのは常に様々なアイディアを持っており、それを試す機会があればむしろありがたいと思うのではなかろうか。

 

時に軍医は、軍団中の致命傷を負った兵を救うべく駆け出すが、それはその兵が最期に何か伝えたいと願うことを、また死に臨んでその手を握ってくれる人がいれば心安らぐということを知っているからだ。

 

だがそれは飛び交う弾丸の間で、静かに座すということ。戦火の下でこうすることは、何よりも高貴な行いである。牧師もまた同じであるが、彼らにとってそれは自らの通常の務めとみなすものの一部である。

 

↑本文とはあまり関係ない? 1916年頃のイギリス兵とインド兵

 

 

私の知るまた別のヴィクトリア十字受勲者だが、彼は軍医でも牧師でもない。馬を殺された騎兵を救った将校である。そのやり方は彼一流のものだった。

 

将校は馬から降りて立った。敵であるズールー兵が駆け足でやって来る。馬を失った騎兵は堂々と言った。一人用の馬に二人乗りして、将校を危険にさらすわけにはいかない、と。

 

 

将校はこれに答えて言った。「お前がオレの後ろに乗らないんなら、人生最悪ってほどの一撃をブチこんでやるぞ」 騎兵はズールー兵の槍より将校の拳の方が怖かった。そして、将校の駿馬は二人を乗せて危機から脱したのである。

 

現在の軍規では、任務にある部下を侮辱したり、「暴力で脅し」たりした将校は、その職権を失い、「寛大なる王に仕えるに及ばず」と宣告されることになっている。だがこの騎兵はいくつかの理由で、上役に決して報告しなかったのである。

 

 

戦闘の面白さと名誉は、決して我が方だけのものではない。かなり前のことだが、ニュージーランドにおいてマオリ族との戦があった。

 

マオリ族は捕虜を虐待するし、時には人食いをもするが、戦いのための戦いというものを好む者たちだった。

 

マオリの族長の一人が我が軍の分遣隊を柵囲いに閉じ込めさせたことがあった。そこで飢え死にさせるか、暇を見つけて食ってしまうつもりだったのかもしれない。

 

ところが、その族長に手紙が届いた。分遣隊の連中には食糧が不足しているというのである。そこで族長は柵囲いの中へ、カヌーいっぱいの豚肉とジャガイモを運び込んだ。添えられていたメッセージはこうである。

 

「弱った連中とやり合ったところで面白くもない。たらふく食ってしっかり休んだ後で立ち合うことこそ喜びだ」

 

男たち、特に若者にありがちだが、邪魔なトゲや鋭い竹の防柵を無理矢理突っ切ろうとすることがよくある。仲間の成長に資する限りは続けるか、激しい反撃にぶつかって耐え忍ぶことになるか……。

 

こういう人たちが言うには、そんな風に突っ込んでいくのは実に面白い。だが悪い時には、煙幕の中で怒り狂った敵と取っ組み合いを始めることになって、あわてて撤退する敵方に「おい、ここから出ていきな」と言ってやるまで、一分が何時間にも感じられるんだ。この気分は、まるでサッカーで近づいてくる味方が間に合うよう、できるだけゆっくりとボールを蹴る時のようだと言う。

 

 

大抵の人はちょっとばかり痛い目に遭ってから、うまく事を運ぶための手引きがほしいと思うばかりである。若者の勇気は結局、実力に見合わないことが多い。       

 

 

語る者がほとんどいないせいで決して有名ではないが、オデュッセウス級とも言い得る勇気の話がある。

 

 

多数の傷病者を抱える騎兵縦隊がまずい場所へと迷い込んでしまった。その小道には敵軍が岩陰に隠れていて、撤退する者が射程内に入ったところを次々狙い撃ちにしていたのだ。

 

騎兵隊の半数は後衛としてその細い道の辺りに目を向け、丘陵から閃く銃撃を抑止すべく行動していた。時しかも雨の降る寒い黄昏、まったく嫌な状況だった。

 

 

間もなく、後衛たちは少々焦って銃を撃ち出し、本隊へ急いで合流しようとし始めた。兵士たちは傷病者担架をしょっちゅう下ろしては道の両側を見回し、隠れる場所を探してばかり。つまるところ、彼らは恐慌を来たしつつあり、このまま行くと後に待ち受けるものは野蛮な殺戮であったろう。

 

 

その中でもとりわけ退屈して不機嫌になっていた部隊を率いていたのが、私の知り合いの若者だった。縦隊には「早く! 急げ!」という無用かつ何の慰めにもならない叫びが響く。

 

若者は、部下たちがやたらに銃を撃とうものなら張り倒し、彼らをできる限り落ち着かせていた。縦隊の誰かが「お前のところは何をそんなにのんびりしてるんだ?」と叫ぶほどだった。

 

 

私はこの若者の友人であることを実に誇りに思う。

 

この時、彼はタバコ葉を探し出し、それを自分のポケットの中でパイプに詰めた。彼が後に語ったところでは、自分の手がふるえているところを、誰にも見られたくなかったからだという。

 

彼はマッチを擦ってスパスパとパイプをふかしつつ、後ろを向いて叫んだ。「ちょっと待っていろ、一服するんだ」

 

 

爆発的な笑いが巻き起こった。若者はおどけてこう続けた。「お前らがぎゅうぎゅう押し詰めてくるもんだからさ、ちょいと体を伸ばそうと思ったのさ」

 

 

実際にパイプから煙が出ていたとは信じがたいが、これは部隊を落ち着かせるためのちょっとした、だが実に大した行為だった。

 

このニュースは隊列を駆け巡り、担架上の負傷者さえ笑った。皆の気分が良くなった。敵がこの笑い声を聞いたのか、それとも続く「一、二、三、四」の号砲に驚いたのか、それはわからない。ともあれ騎兵隊は歩調正しく、駆け足になることもなく、死傷者もほとんど出さずに野営地へたどり着いた。

 

若者の行為は、不朽の勇気と呼ぶべきものであるが、この件についての論評は私の聞く限りただ一つ、若者自身の言葉だけだ。彼はこう言うのみであった。「芝居がかっていたが、必要なことだったんだ」

 

 

もちろん、彼は元来優れた若者だったに違いない。だらしない者、自分に甘い者、鍛錬の足らない者の下に、真の天啓が訪れることは、その欠片でさえほとんどないのである。

 

文明世界にあって洗濯や髭剃り、身だしなみについて自分なりにきちんと意識してない十字章受勲者には、お目にかかったことがない。外の世界で何事を成し遂げた受勲者であっても、である。

 

 

確かに、授勲の審査というのは不思議なものだ。ひとりの人が何百人もの若い兵や将校を見知った後、ちょっと離れた席にじっと座り、彼らが進み出て自らの職務における手柄を上申するのを見るのだから。それでも、清廉で思慮深い人は大抵どうにかして、状況を正しく把握するらしい。

 

(続く)

 

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