PPPのブログ -50ページ目

我が家に定型発達児はいない

次男の障害を確信したとき、

ん?

長男の未来は?

三男の未来は?


きょうだい児?


親である私でも受け入れられないのに、

兄弟となると、
これからどれだけのものを背負うことになるのだろう。


私の経験にないことだからこそ、

ものすごく怖くて不安で。


でも気づいてしまった。


三男の発達の遅れ…

そして違和感。
次男よりも重い障害があるように思える…


長男に関しても黒。

次男の障害によって、自閉症の子を育てるお母さん達のブログを読みあさり、

色んな知識を得た。

私は自閉症というものを知らなかった。

知的障害のあるものをイメージしていた。


しかし、
知的障害のない自閉症のあることを知った。


今でこそ、なぜか落ち着いている長男だが、

2歳前後の長男は、すさまじく問題児だった。


問題なくコミュニケーションもとれるし、

周りからは、

男の子はそんなもんと言われてきた。


でも、あの時、しかるべき所に相談していたら、

確実に自閉症の診断を受けていたと思う。



シンプルに。

うちの息子達、みーーーーんな自閉症かよ。


なんか、それならきょうだい児問題ない?


私が踏ん張るのみ??


なんか、泣きたいような、

笑えるような、

死にたいような。


私、もともと楽観的で、死にたいと思うようなこと今までなかったし、


死にたい死にたいと言うひとを、

メンタル弱いなー。と少し偏見があった。


でも、今のわたしは、


死にたい。

逃げたい。

どこか遠くへ。

知らない場所へ。

山奥へ。





大好きな人

我が子の障害が分かってから、

ずーっと、苦しい気持ちに支配されている。


もちろん、息子の障害である、

反応のない我が子とのやりとり、

母親の私を必要としていないこと、

知的障害の重さを感じるところ、

それが一番辛い。


でも、その次に辛いのが、


私の1番の苦しみ、辛さを、

大切な人、大好きな人に共感してもらえないこと。


例えば、実母。

実母とは、仲が良い分、ぶつかり合う事も多いけど、
何よりも誰よりも私を大切に思ってくれてること、心配してくれている事は分かっている。

その実母に子の障害を話すと、

その辺の書籍を読んで、発達障害って治るんでしょ?!

諦めるの?!!と、たたみかけてくる。


もちろん、辛い気持ちはわかるけど、
悪い方向に考えていては、よくない。
子どもの可能性を信じないと。
特別な才能があるかもしれない。


と言ってくる。


うん、わかるよ。言いたいことは。


でも、違うんだよ。

そういう話じゃない。

そんなキレイな話聞きたくない。



お次は義母。

ほんっとうに良い方で。

大好きで。

下手したら、実母より好きなのでは?!
というくらい、好き。

私なんかが言うのもおこがましいが、

本当に義母はできた方。

理解も、とてもあって。


ただ、
息子の障害のことを言うと、


◯◯君は、◯◯君よ。(◯◯は息子の名)
元気ならそれでいいの。
誰も悪くないこと。
悩んで、解決するなら悩むけど、
悩んでも変わらないことは、悩まない方がいい!!

△△さん(私の名前)、昔から悩む性格だった??

と言われた。


ショックだった。


うん。
悩んでもしょうがない事悩んでるみたいな言われ方したけど、

子どもの障害が分かって、

それも、個性の範疇とかでなく。

重い。

それで、悩まない、苦しまない人はいるんだろうか。


自殺してない、子どもたちと心中せずに、

なんとか生きてるだけで、子どもを生かしてるだけで、
自分のこと褒めてあげたいくらい。

それぐらいギリギリのところで生きてる。


でも、実母にしろ、義母にしろ、


私のことを大切に思ってくれている人、大事に思ってくれている人からの言葉。


大好きな人からの、善意の言葉が、

凶器になるなんて。


それこそ、


誰も悪くない。


実母も、義母も、もちろん息子も。


誰も悪くないのに、私の心はえぐられる。


障害が憎い。









公園で初めて。

今日、公園に子ども達を連れて行った。


次男。

いつもは、私のことなんて、見向きもせず、

遊具にあまり興味もなく、

ひたすら、葉っぱを丸太の上に乗せ続けたり、


枝拾ったり、石ころ拾ったり。

それはそれは、興味の範囲の狭いこと。

親に興味もなく、私が離れて姿が見えなくても、気にしなーーい!


呼び掛けても、無視か、チラッと奇跡的に見ても、作業没頭。


ただ!!!!

今日は!!!!


「かーはーんっ!」と言いながら私の手をひいてくれたーーーーー!!!!!

クレーンでも何でもいい!!!


公園で遊んでるとき、私の存在を思い出してくれただけで感無量で、

ホイホイホイホイ着いていった。


その時話していた、長男の幼稚園のママ友との会話、めっっちゃ中途半端だったけど、すっぽかして次男の手のひく方へーーー!!!



というのも、

次男。

私のことを、「おかあさん」という名称であることは認識している。


ただ、

私を呼ばない。呼べない?


呼ぶ。という手段があることを知らない?


お母さんどこ?と聞くと、

「これー!!」と指はさす。


隠れて、ばぁ!!!と出てきたりすると、

「あ!かー。(おかあさんの意味)」

と言ったりもする。


ただ、それは、

あ、りんごだ。みたいなニュアンスで、

ただ実在したものを口にしただけ。独り言。


コミュニケーションとして使っている言語ではない。


今日の言葉も、

私を呼んだわけではないのは分かってる。


遠くから呼び掛けられたわけではないから。


独り言のように、

「かーはーん」と言いながら、見つけた私の手をひいただけ。


でも、それだけでも、


次男の世界の中に私が存在してるだけで嬉しい。



次男はいつも私とは違う世界にいる。
マイワールド。


だから、その世界に招かれた気がして嬉しかった。



障害児育児をしていると、

小さな成長を喜べる。


小さな幸せを感じられると聞くけど、



私は、



なんだそれ。


普通サイズの喜び感じたかったし、

こんな小さい成長か。


こんっな小さなことか。

んなもん、できて当たり前だ。


こんなこと、定型の子なら、とうの昔にできてるわ。


と思っていたし、


今でも思っている。


でも、それでも、実は、毎日毎日、

次男の小さな成長には、本当に嬉しくて


喜びで胸がしめつけられる。


こうして、今日の寒空の公園で、

1人胸がホッカホカのところで、


長男の幼稚園友達の妹ちゃん。


次男と同じ位の子が近寄ってきた。



もうなんだろうね。


かわいすぎる。


え??かわいすぎない?!


いやいや、かーわいー!!!!

定型発達の2才、天使ですか!


目合いすぎ!

そんなに可愛い目で見つめるのー!?

私の問いかけに頷いて、

なんだろ、もう可愛いに尽きる。


そして、さっき温まった心が一気に冷えた。


次男が定型発達だったら、


どれほど可愛かったのだろうと。


今でも可愛い。


でも定型なら。


もっと可愛かったのだろうと思ってしまう。


この悲観的思考からぬけだしたい。